カシミール地方を舞台にインドとパキスタンの紛争が再燃している。カシミヤの生産地であることは知っているが、紛争の原因や経緯はほとんど知らない。そこで生成AIのGeminiにこれまでの経緯を聞いてみた。答えは以下の通り。全文掲載。

「1947年8月:インドとパキスタンの分離独立: イギリス領インドの分割により、ヒンドゥー教徒多数派のインドとイスラム教徒多数派のパキスタンが成立。この際、藩王国であったカシミールの帰属が未決定となる。カシミールの藩王はヒンドゥー教徒であったが、住民の多数はイスラム教徒だったため、帰属を巡って対立が生じる。
<主な紛争の経緯>第一次印パ戦争(1947年 – 1949年):パキスタン軍の支援を受けた武装勢力がカシミールに侵攻。カシミール藩王がインドに支援を要請し、インド軍が介入。国連の調停により停戦。カシミールは停戦ライン(Line of Control – LoC)によってインドとパキスタンが分割統治する形となる。

第二次印パ戦争(1965年):パキスタンがカシミールへの潜入工作などを実施。インドがパキスタン領に侵攻し、全面的な戦争に発展。国連の調停により再び停戦。
第三次印パ戦争(1971年):東パキスタンの独立運動(バングラデシュ独立戦争)をインドが支援。インド軍が東パキスタンに侵攻し、パキスタン軍と交戦。パキスタンが敗北し、バングラデシュが独立。この戦争の結果、両国間の緊張は緩和に向かう。
カールギル紛争(1999年):パキスタン軍兵士と武装勢力がカシミールのカールギル地区のインド支配地域に侵入・占拠。インド軍が反撃し、激しい戦闘が発生。国際的な圧力などもあり、パキスタン軍が撤退。
2000年代以降:両国間で和平に向けた対話の試みも行われるが、テロ攻撃や国境付近での衝突が断続的に発生。インドは、カシミールにおけるテロ活動の背後にパキスタンの支援があると主張。パキスタンはこれを否定。


2019年8月: インド政府が、インドが実効支配するジャンムー・カシミール州の自治権を剥奪し、連邦直轄領に再編。パキスタンは強く反発し、両国関係が再び悪化。
2025年5月: インドが、パキスタンが支配するカシミール地域を攻撃したとの報道(2025年5月7日)。長年の対立が依然として続いていることが示唆される。
<紛争の根源と現状>
インド・パキスタン紛争の根源には、分離独立時のカシミールの帰属問題、宗教対立、そして両国のナショナル・アイデンティティなどが複雑に絡み合っています。現在もカシミール地方では、インドとパキスタンによる実効支配が続いており、国境線(LoC)は依然として不安定な状態です。両国間の関係は、テロや国境衝突などによって度々緊張が高まります。核兵器保有国同士である両国の対立は、国際社会にとっても懸念材料となっています。

より詳細な情報については、最新のニュース報道や関連研究を参照することをお勧めします」。