もっと早く解散するつもりが――。民主党政権で最後の首相となった野田佳彦衆院議員が7日に日本記者クラブで会見し、2012年に衆院解散の時期を悩んだ内幕を語った。当時野党だった自民党の総裁選よりも解散が後になり、衆院選で負けて安倍晋三新総裁に政権を渡すことになった無念さをにじませた。
当時の最大の政治課題は消費増税の判断だ。来年に10%へ引き上げる政府方針をめぐり今も議論がかまびすしいが、その起点となる与野党の攻防があった。
民主党政権は社会保障財源と財政健全化のためとして、5%の消費税率を14年に8%に、15年に10%に上げる方針だった。12年8月、自公両党が同意する代わりに、野田首相が「近いうちに国民に信を問う」と約束。衆院解散の時期が一気に焦点になった。
野田氏はこの日の会見で、「解散は本当に『近いうちに』と考えていた。(12年9月の)自民党総裁選の前というチャンスもあった」と振り返った。
理由は二つ。まず、「ケミストリー(相性)が合う」という当時の自民党の谷垣禎一総裁のうちに解散をすれば、「(民自公で)消費増税の3党合意を苦労して作った共同責任があるので、衆院選でどっちが勝っても合意はちゃんとやっていくステップが見える」という期待があった。
もう一つは、09年から鳩山内閣、菅内閣と混乱が続いた民主党政権への逆風を感じ、「解散が早いほど負け幅は小さい」と踏んだこと。「橋下徹さん率いる維新の選挙準備が全国で終わったら民主党は第三党に落ちる」「衆院選が翌年の参院選に近づけば衆参一緒にダメージを受ける」という追い込まれ感があった。
それでもすぐ解散できなかったのは、「近いうち解散」を約束した直後に「李明博・韓国大統領の竹島上陸や中国との尖閣案件が起き、政治空白を作れなくなった」からだという。
特に尖閣諸島問題が大きかったとし、「石原(慎太郎知事)さんの東京都が買ったら対中関係でハレーションが起きると思っていたので、急いで国有化をやる時期に重なった」と説明。「谷垣さんは次の総裁選でも勝つだろうと思い、解散を少しずらす方に動いてしまった」と話した。
ところが12年9月の尖閣国有化で日中関係の緊張はぐんと高まり、長引く一方で、自民党総裁選には谷垣氏は出ず安倍氏が勝つ。野田首相は11月にようやく解散するが、翌月の衆院選で「民主党政権の外交敗北」「日本を取り戻す」と訴えた安倍新総裁率いる自民党に惨敗。3年3カ月ぶりに自公政権が復活した。
野田首相の解散の遅れが生んだとも言える安倍内閣の下で、消費税は14年に予定通り8%になったが、10%への引き上げは15年から先送りされ続けている。政権を失った民主党は分裂し「自民一強」が続く。
いま無所属の野田氏はこの会見で、「安倍さんは3党合意の精神をわかっていない。未来に責任ある、緊張感のある政治を作るために、2大政党に向けてもう一度野党を結集しないといけない」と語った。(専門記者・藤田直央)