令和最初の正月休みが終わり、8年目を迎えた安倍政権が本格始動した。依然として安倍晋三首相の「1強」態勢が続くものの、昨年の臨時国会で批判が噴出した「桜を見る会」や、カジノを含む統合型リゾート施設(IR)をめぐる汚職事件などの不安定要素を抱える。過去の歴史をひもとくと、今年の干支にあたる子年には政局が激しく動くケースが多い(肩書きはいずれも当時)。
相次ぐ首相退陣
干支と政局の関係では、参院選と統一地方選が重なり、自民党が苦戦を強いられるとされる「亥年選挙」が有名だ。昨年はこの亥年選挙だったが、自民党は7月の参院選を制し、ジンクスをはね返した。
では、子年はどうか。過去には政局が大きく動いている。古くは戦後まもない昭和23年3月、日本国憲法下で初めて国会の指名を受けた片山哲内閣が、日本社会党(当時)の内部対立などが原因で退陣した。その跡を継いだ芦田均内閣は昭和電工事件(昭電疑獄)で閣僚2人が逮捕され、わずか8カ月で総辞職。その後、第2次吉田茂内閣が誕生した。
次の子年の35年には、岸信介首相が日米安全保障条約をめぐり、いわゆる「安保闘争」の混乱の責任を取って辞任。さらに次の47年には佐藤栄作首相が退陣した。
岸氏は安倍首相の祖父、佐藤氏は大叔父にあたり、一族が子年に受難を受ける傾向も浮かび上がる。
平成の時代に入っても、子年に政局が起きる傾向は続く。8年1月5日には、日本社会党(当時)の村山富市首相が突如として退陣を表明。20年には福田康夫首相も首相の座を降りた。
福田氏は退陣会見で、「(説明が)ひとごとのように聞こえる」と指摘されたことに対し、「あなたと違うんです」と捨て台詞を残したことも記憶に新しい。福田氏の後は麻生太郎内閣が発足したが、リーマンショックの影響などで国民の支持を取り戻すことはできず、翌年の政権交代につながった。
五輪開催時とも重なるジンクス
では、令和最初の子年はどうか。安倍政権は進展の見えない北朝鮮の核・ミサイル開発、拉致問題などさまざまな課題を抱えている。首相が意欲を示す憲法改正も、昨年の臨時国会で改憲手続きを定めた国民投票法改正案の採決が見送られ、改憲日程は想定よりも大幅に遅れている。
改憲のスケジュールに大きな遅れをもたらした最大の原因は「桜を見る会」の騒動だ。平成24年末の第2次安倍政権後に参加者が増えた点を「私物化」と問題視され、政府は来年度の開催中止を早々に決めた。しかし、その後も招待者名簿の保存期間などをめぐり公文書管理に関する批判がやまない。野党は20日召集の通常国会でも追及を続けていく構えだ。
加えて、昨年末にはIR事業をめぐり、東京地検特捜部が収賄容疑で衆院議員の秋元司容疑者(48)=自民党を離党=を逮捕した。贈賄側の中国企業関係者は、秋元氏以外にも自民党を中心とした国会議員5人に現金を渡したと供述している。IRは安倍政権が肝いりの経済政策として進めてきただけに、事件の進展次第では、政権の求心力も左右しかねない
また、今夏は東京五輪・パラリンピックが開かれるが、日本で夏季・冬季五輪を開催した年はいずれも内閣が交代したジンクスもある。昭和39年の東京五輪では、閉会翌日にがんを患っていた池田勇人首相が退陣を表明した。札幌冬季五輪があった47年は子年でもあり、佐藤内閣から田中角栄内閣に代わっている。長野冬季五輪の平成10年は、橋本龍太郎内閣が夏の参院選で惨敗した責任をとって総辞職している。
「憲法改正を私の手で成し遂げていくという考えに揺らぎはない」
首相は今月6日の年頭会見でこう述べ、宿願の憲法改正を自身の手で実現する意向を重ねて示した。そのためには、「退陣ジンクス」にあふれる子年の政局を乗り切らなければならない。さまざまな課題に対峙(たいじ)する判断力や決断力がより一層求められる。
(政治部 大島悠亮)