[ロンドン 31日 ロイター BREAKINGVIEWS] – 何かが壊れたときはまず治そうと努力をする。それが駄目なら代わりになる物を探そう。こうした分別は世界の金融財政システムにも当てはまる。
新型コロナウイルスが世界経済を大きく食いちぎる前でさえ、金融財政はテスラの新型電気自動車のように道を快調に飛ばしていたわけではなかった。2009年の金融危機後を考えても、世界経済は修理半分、おんぼろポンコツ車のようだった。金融政策はそれほど効果的ではなかったし、資産価格は経済実態を無視して決まることが多かった。
それでも少なくとも銀行は資本増強されたし、民間債務は完全に制御不能ではなかった。
金融工学の母国を自負する米国の民間セクターを考えてみよう。国際通貨基金(IMF)によると、国内総生産(GDP)に対して企業部門と家計部門の総額が占める比率は、1950年の55.0%からほぼ着実に上昇し、07年には168.5%に拡大。金融危機後の債務縮小の動きとともに同比率は18年に150%まで下がったが、そうは言っても、これは04年と同じ水準だ。多くの否定論者がいみじくも、しかし先走った物言いで、金融危機到来が迫っていると予想していた時期である。
各国政府はどう動いたかと言うと、金融危機後でさえドイツを除いては、債務のつつましやかな削減さえ実行しなかった。例えばフランスは、IMFの推計では政府一般債務のGDP比率が07年の65%から、18年は98%に上昇。この間に英国では42%から87%に増えていた。
これから新型コロナが世界諸国にどれぐらい大きな損害を与えるのかは誰にも分からないが、おびただしい支援融資が行われれば、民間、政府両部門の一部の債務比率を大きく押し上げるのは必至だ。大量の貸し付けは経済活動の停止が引き起こす損害をある程度、押しとどめられるだろうし、緊急事態における難局への対処策としては最もましな対応だ。それでも問題があることには変わりない。
企業は借り入れを増やすにしても、たいがいはリスクを取ったり、投資をしたりするのに慎重になるだろう。米国の学生ローン債務の場合も、一部の米民主党議員が提案しているような債務帳消しがなければ、大学卒の若者らは住宅の購入にも家族を持つことにも慎重になるだろう。
その一方で超低金利は、借り手の苦痛を和らげはするが、投資家はいら立ちを募らせる。利回りに飢えた投資家は、利回りは高いが質の低い資産めがけて「くず拾い競争」に殺到するかもしれず、金融システムに不要なリスクを高めることにもなる。
要するに金融財政の効果は恩恵よりも弊害の方が多くなっているのだ。金融は本来、最も経済効果を発揮するところに資金を巡らせることで、経済活動の円滑化を助けるとされているが、実際には経済成長を減速させ、リスクを高めている。
それでは債務水準全体を引き下げさせ、預金者をかなり満足させ続けられるぐらいに政策金利を引き上げさせるには、いったい何をすべきなのだろうか。どんな伝統的手法でも無理に見える。標準的な政策手段では、経済成長を損なわずに容易に借り入れ意欲をそぐことはできない。一部のエコノミストは、財政赤字による高インフレを用いて名目GDPに対する債務比率を引き下げるという財政政策重視論をほのめかしている。これはフェアな考えには聞こえないし、成功は望み薄だ。
もっとましな手法はある。世界経済のことを、ある売り上げ不振に陥った企業と考えてみよう。GDPはさしずめバランスシート上の売上高だ。そうした場合、次の取り得る手段は米連邦破産法第11条の適用申請に基づく経営再建策のようなものだ。組織は通常並みに事業活動を続ける一方で、バランスシートの債務はより安定維持可能な水準に再編される。
国家運営では、急進的な政治家は「徳政令」(金融業者や債務者への債務放棄命令)のような措置を求めるのかもしれない。すべての債務をゼロまで減額し、一からやり直すような策だ。そんな全面的な帳消しは行き過ぎだろう。企業信頼感を何年にもわたって損なうことになる以上、逆効果だ。
債務を管理可能な水準にしていくのに求められる再編も厳しいものではある。米民間債務の対GDP比率を18年の水準から下げて1980年の水準に戻すには、債権者に全体で32%の元本削減を強いることになる。政府債務を80年水準に戻すなら、必要な元本削減率は63%だ。さらに新型コロナに関連した債務がこの比率をもっと押し上げるだろう。
こんな大規模な債務再編交渉は悪夢だろう。債務再編の必要に、ある企業の債権者が同意したとしても、損失負担の比率を巡っては紛糾するだろう。これが世界的な交渉となれば、紛糾は何百万倍にも増幅されよう。
効率性と同様に公平性を担保するには細かい考察も大事だ。例えば、35%程度の元本削減ではおそらく、給料日の取り立てに窮するような失業者がフェアだと思い、助けになると思うには少な過ぎるし、慎重な水準を大きく超えて借り入れをしているプライベートエクイティ会社にだって、間違ったシグナルを送ることになるだろう。債権者もいろいろだ。たとえば大富豪の損失はほとんど同情に値しないが、つましく暮らす一介の教師が、わずかな蓄えを失う目に遭う必要はない。
連邦破産法第11条の大型の申請適用例では、借り手と貸し手は譲歩し合わなければならない。中央銀行と政治家に置き換えると、彼らも双方が関与する必要がある。これが特に国境を越える債務だったり、今の時代の国家指導者らが絡んだりとなると、譲歩はかなり難しいだろう。中国の習近平国家主席と米国のトランプ大統領が、中国の保有する巨額の米国債ポートフォリオの価値を半減、あるいはゼロにするなどということは想像し難い。
それでも世界的な債務再編は一つのアイデアのはずだ。いずれ、そんな時期が到来するかもしれない。有用性を考えると使わない手はない。気候変動問題の解決などと比べれば、技術的なネックもかなり少ないのは確かだ。政治家であってさえも最終的には、世界のバランスシートを世界経済の姿にふさわしいものにするよう債務記録伝票をうまく調整する方法を編み出せるかもしれない。
(筆者は「Reuters Breakingviews」のコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています)