- 「専門家の判断に従っている」と安倍首相、政府の説明不十分との指摘
- 求められる政治と科学の架け橋-科学顧問の内閣設置を求める声も
新型コロナウイルスの感染対策の責任の所在が問われている。国民の間では政府の取り組みへの不満は根強く、その矛先は助言してきた専門家にも向けられた。第2波に備える体制づくりが急がれる中、専門家の意見を反映し、実行に移す組織を政府部内に設置すべきだとの声が上がっている。
安倍晋三政権は緊急事態宣言の判断、クラスター対策や「3密(密閉、密集、密接)」の回避といった一連の政策を政府の新型コロナ感染症対策本部で決定し、打ち出してきた。前提となったのが、医学的な見地から助言をする目的で2月14日に設置された専門家会議(座長・脇田隆字国立感染症研究所所長)の提言だ。
日本の感染者数は1万7968人、死亡者955人(22日現在)と、欧米に比べると低い水準にとどまっている。しかし、PCR検査の不足や不十分な経済補償なども影響して安倍政権の支持率は軒並み30%前後に急落した。
毎日新聞が20日に実施した世論調査では、安倍政権の新型コロナ対応を「評価する」は26%にとどまり、「評価しない」は51%と過半数に上った。同紙は給付事業の委託契約問題なども評価低迷につながったとみている。
批判の矛先は助言機関である専門家会議にまで及んだ。先月29日に行われた記者会見では、議事録の未作成を巡り、記者から「科学者としての責任逃れだ」と問い詰められる場面もあった。
脅迫行為も
専門家会議のメンバーで東京大学医科学研究所の武藤香織氏はブルームバーグのインタビューで、同会議関係者に「脅迫行為があった」ことを明らかにした。メディアへの露出と相まって「政策の意思決定をしているグループだというイメージを作られてしまったとも感じる」と話す。
安倍首相は2月の記者会見で、「大きな責任を先頭に立って果たしていく」と言及。政治は結果責任であるとした上で、逃れるつもりは「毛頭ない」と強調した。一方で、4月の国会では、緊急事態宣言の期間について問われた際、「専門家の分析、ご判断に従っている」と責任を転嫁するような発言も飛び出した。
東京大学先端科学技術研究センターの牧原出教授は、こうした答弁が「専門家の意見をそのまま受けて判断した」との誤った印象を広めたと説明。政府と専門家会議の役割分担が不明瞭であるため「本来なら政権の不作為によるはずが、専門家の不作為によって問題が起こった」と認識する人が4月中頃まで一定数いたとし、現在もそうした誤認が尾を引いていると危惧する。
西村康稔経済再生担当相は5月14日の国会答弁で、「緊急事態宣言の基準については説明責任がある。しっかりと丁寧に国民に分かりやすく説明をしていきたい」と明言した。しかし、専門家会議の武藤氏は、政権側にリスクコミュニケーションの体制がないと問題点を指摘。専門家が「良くも悪くも目立ってしまい」、直接市民に語りかける活動を開始せざるを得ない事態となったと振り返る。
緊急事態宣言を発表した4月7日の記者会見では、安倍首相が「最低7割、極力8割の接触削減」に言及し、専門家が主張してきた「8割削減」とのズレが混乱を招いた。
政策の意思決定には、科学的な根拠に加えて経済的、社会的、法的な要素が絡んでいる。科学技術振興機構 (JST)副調査役の松尾敬子氏は、政府は総合的に政策判断をする上で、そのプロセスを国民に説明する責任があるとの見方を示した。政策決定に至った過程が不透明なままでは「国民からの理解は得られない」という。
各国政府の政策実行能力や国民との関係などを分析する世界銀行の世界ガバナンス指標(2018)では、日本は「国民の声と説明責任」の項目において、主要7カ国(G7)中で最下位だった。
英国では、1964年に政府主席科学顧問(GCSA)が設置された。科学に関する事項について、政府に対し直接的に助言する役割を果たす。米国でも同職に相当する大統領科学顧問が57年より置かれており、その他ではカナダ、アイルランド、チェコ、ニュージーランドやマレーシアが主席科学顧問のシステムを採用している。
東京大学の牧原教授は、責任の所在を明確にするため、日本でも英国のように科学技術顧問のポストを内閣に置くべきだと主張する。「国民への情報発信も専門家が負担し、結果責任のかなりのところまで専門家が問い詰められていた」とし、第2波、3波が来る前に政権内の責任分担を明確にする必要があると話した。
専門家有志の会
緊急事態宣言の検討が本格化した4月上旬、有志で集まった個人が、ブログサービス「note」を開設。専門家の監修の元で、新型コロナに関する市民の疑問に丁寧に答えた。有志の会のメンバーで早稲田大学政治経済学術院の田中幹人准教授は、感染拡大が現実味を帯びる中で「市民に情報が届いていないという焦り」から、独自の情報発信をする必要性を感じたという。
noteの立ち上げに携わったユースデモクラシー推進機構代表理事の仁木崇嗣氏は、信頼性のある情報を発信し、それを会員制交流サイト(SNS)等で拡散してもらうことを企画したと話す。インフルエンサーの意見を取り入れたコンテンツが、ツイッター上で1万回以上リツイートされるなど反響は一気に広まった。
JSTの研究開発戦略センター(CRDS)フェローの澤田朋子氏は、研究者がブログやツイッターを通じて能動的に発信した経験は「一つのムーブメントだった」と評価する。
政府の説明責任が問われたのは、今回が初めてではない。2011年の原子力発電所事故では、科学者の意見を反映させる仕組みの欠如が顕在化した。放射能汚染に対する対応をめぐっては、政府と専門家の見解に相違があり、人々の混乱が続いた。
JSTの松尾氏は原発事故当時と比べて政府の助言体制に「大きな変化はない」と見ている。コロナ対応においては、専門家の選出理由や選考過程を示す記録が残っていないことを問題視し、助言体制の透明化を図るべきだとも指摘している。