松宮孝明教授(2017年撮影)
立命館大法科大学院の松宮孝明教授は1日、京都新聞社の取材に対し、政府が「日本学術会議」会員への自身の任命を見送ったことについて、心境を語った。松宮教授の発言は以下の通り。
―任命されなかったことについて率直な気持ちは。
率直にはほっとした。仕事が一つ減ったな、と。個人的にはそういうところで、別になりたいと思ってたわけでないので、まずはそれを理解してほしい。
それを抜いて率直に言うと、「とんでもないところに手を出してきたなこの政権は」と思った。学術会議というのは、まず憲法23条の学問の自由がバックにあり、学術は政治から独立して学問的観点で自由にやらなければいけないということでつくられた学者の組織だ。もちろん内閣総理大臣の下にはあるが、仕事は独立してやると日本学術会議法で定められている。そこに手を出してきた。広告
しかも法律の解釈を間違っている。日本学術会議法では会員の選び方について、学術会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命すると書いてある。推薦に基づかない任命はない代わりに、基づく以上は「任命しない」もないのだ。
どのような基準で推薦しているかというと、結局その分野の学問的な業績、そして学者として力があるということを見て決める。これも日本学術会議法17条に書いてある。推薦に対して「不適格だ」というなら、それは研究者としての業績がおかしいと言わなければ駄目だ。ところが、その専門家ではない内閣総理大臣に、そのようなことを判断できる能力はない。だから結局、機械的に任命するしかないのだが、今回それをしなかった。任命をしないのならその理由を問われるが、総理には言うことができないだろう。
―官房長官は「個々については人事に関わるのでコメントは差し控える」と答えている。
差し控えるというより、コメントができないし、できるわけがない。「この先生の分野で評価したところ、こういう点でおかしいと思う」と言わなければならないのだから。一番大きな問題は、これは学問の自由に対する挑戦で、それを大胆にやってしまったな、という話だ。
共謀罪、政権に有益な助言してあげたのだが
―先生を含めて6人が任命されなかった。
これがどれだけ重大な問題であるのか、あまり分かっていないのではないか。まず、一般公務員の任命と同じだと思ってるようなところがある。菅さんは首相就任の時、「言うことを聞かない者はクビにする」というようなことを言った。学術会議の会員というのは建前上公務員ではあるが、選考基準がはっきり決まっているので、任命権者だからといって自由にクビにするとか任命しないとか、できるわけがない。なぜできないかというと、憲法23条の学問の自由を保障する必要があるからだ。
―政権側は、先生を任命しなかった理由についてコメントを避けているが、ご自身はなぜ外されたと考えるか。心当たりは。
個人的な話をすれば、共謀罪の時に「あんなものをつくっては駄目だよ」と、参議院の法務委員会に参考人で呼ばれたので言ったことがある。治安立法として最悪だということよりも、「そんなものをつくっても多分使えない」と言ったのだ。つくるだけ無駄なもののために政治的空白を大きくするのは、本当に無駄。こんなところにエネルギーを注いだらいけないと言ったのだ。結果、できて3年だが、一度も使われたことがない。政権にとって有益な助言をしてあげたと思っていたのだが、向こうはそう思っていなかったようだ。
しかし、私個人の問題ではなくて、むしろ学術会議や大学を言うがままに支配したいということの表れだと思っている。何が問題かと言うと、防衛省が多額の研究助成予算で持っている。ところが大学や学術会議は、3年前に確認したが軍事研究はやらないということを言って、あまり応募していない。その代わりに普通の研究経費を上げろと言っているのだが、政府は言うことを聞かない。政府にとってみたら、軍事研究をしろと言っているのに言うことを聞かないのが学者だと思っているはず。ここが多分、本当の問題だと思う。
■「任命拒否できる権限」は間違い
―官房長官会見では学問の自由については「法律上、内閣総理大臣の所轄であり、会員の人事を通じて一定の監督権を行使するのは法律上可能。その範囲内で行っているので、ただちに学問の自由の侵害にはつながらない」としている。
学問を監督しようと言っているが、それが自由の侵害ではないか。もう一つ言うと、ほとんど同じ構造をもっている条文が憲法6条1項にある。天皇の国事行為だ。「天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する」とある。日本学術会議法では「学術会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命する」。主語と述語は入れ替わるが、同じ構造だ。ということは官房長官の言い方だと、国会が指名した人物について天皇が「この者は駄目だから任命しない」と言えることになる。同じ理屈だ。つまり任命権があることを、「任命が拒否できる権限もある」というふうに思うのは間違いなのだ。
独立性なくなれば存在意義なくなる
拒否権があるかどうかというのは、結局どういう基準でその人を選んで任命することになっているかという法律全体の構造をみないと駄目なのだ。日本学術会議法は第3条で独立を宣言している。3条をみると、まず柱書きで、「日本学術会議は独立して左の職務を行う」とはっきり独立と書いている。「科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること」「科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること」となっていて、学術会議の職務は独立なんだと書いてある。
総理の下にあるけれど、総理からは独立してる。学術会議は学術行政について政府に勧告権もっているが、独立性がなくなれば、政府がこう言ってくれということしか言わなくなってしまう。だから存在意義がなくなり、学問自体の独立や自由が公的機関では保障できなくなる。だからこの法律は、「任命しない」ということは考えていないのだ。
―任命から外れたと日本学術会議事務局長から電話で聞いた時のやりとりは。
事務局は「ミスで落ちたんじゃないかと思って内閣府に問い合わせた。そしたらミスではないとのことだった」と話していた。「しかし、落とした理由は言えないと言われた」とも。事務局は多分とても困惑したと思う。私もそう感じた。「これは大変なことですよ」と言ったら「大変なことですね」と言われた。