孫正義氏が自身のキャリアでも最大級となる英アーム売却の案件をまとめた際、アイデアを出したのはベテランのバンカーや弁護士ではなく、孫氏側近の中で比較的新参の元ドイツ銀行トレーダーだった。
まだ40歳にもならないアクシェイ・ナヘタ氏は3年前にソフトバンクグループに加わってから、同社の大きな案件に関わってきた。ドイツのオンライン決済会社ワイヤーカードに関する案件など論議を呼ぶものもあるが、それらを通じてナヘタ氏は、半導体設計のアームをコンピューターグラフィックス(CG)用半導体製造で最大手の米エヌビディアに売却する案を売り込める程度に孫氏と親しくなった。
現在はシニアバイスプレジデントとして孫氏に戦略的アドバイスをするナヘタ氏のソフトバンクG内での出世は、テクノロジー企業から投資会社へという同社の事業モデルの転換を反映している。投資会社モデルでは、リスクと複雑さを好む金融のベテランたちが発言力を持つ。ナヘタ氏は今や、ドイツ銀出身者が多くを占める孫氏付アドバイザー軍団の一員だ。
この少人数のグループにはラジーブ・ミスラ氏やコリン・ファン氏、ヤンニ・ピピリス氏らがいる。皆、ナヘタ氏と共にソフトバンクGのビジョン・ファンドで働き、2008年の金融危機前にドイツ銀の特徴だった高リスクの取引をしたことのある人々だ。ソフトバンクGでは巨額の資金が自由に使え、危機後に銀行が導入したような制限も少ない。
元金融アナリストでドイツ銀を20年にわたり追っていたクリストファー・ウィーラー氏は「彼らは資金が潤沢でリスク意欲が高く野心満々の企業のためにファンドを運用している。非常に頭の良い人々だが、こういう性質の会社が彼らの金の使い方に目を光らせるのは難しい」と話した。
ソフトバンクGのティム・マッケイ最高コンプライアンス責任者(CCO)は電子メールで、同社は各地の規制を真剣に捉え、法とリスク、コンプライアンスについて堅固なインフラを備えていると説明した。
金融の巨人へというソフトバンクGの進化におけるドイツ銀出身者の影響は明らかだ。孫氏はベンチャーキャピタル投資のために1000億ドル(約10兆4300億円)規模のビジョン・ファンドを設立、17年にフォートレス・インベストメント・グループを買収し、今年は投資運用子会社を設置、今では「ブランクチェック(白地小切手)会社」と呼ばれる特別目的買収会社(SPAC)にも参入しようとしている。
複雑な金融の仕組みは両刃の剣になる。ナヘタ氏は金融機関との先渡し売買契約を利用してアリババグループ株からの資金調達を有利にするのに一役買ったが、ビジョン・ファンドの外部投資家らに400億ドル相当の優先株(年間配当7%)を割り当てソフトバンクGの利益を大きくするミスラ氏の策は裏目に出た。利益が出れば取り分が大きくなるはずだったが、19年のウィーワークの新規株式公開(IPO)失敗などで巨額損失を被った。
ドイツ銀出身者らは社内の政治的駆け引きにも熾烈(しれつ)なアプローチを持ち込んだ。ミスラ氏とニケシュ・アローラ氏の対立はその典型だった。グーグル出身のアローラ氏を孫氏は14年に招聘(しょうへい)したが、同氏は約2年後に退社した。ミスラ氏はマルセロ・クラウレ最高執行責任者(COO)とも衝突したと、ブルームバーグ・ニュースが報じていた。ビジョン・ファンドの広報担当者は、ミスラ氏はアローラ氏を高く評価し、クラウレ氏とは協力関係にあると述べた。
ソフバンクG孫社長、腹心ミスラ氏への信頼続くか-ファンド巨額損失
ムンバイ生まれのナヘタ氏は05年に香港でドイツ銀の株式部門に加わった。後に最高経営責任者(CEO)になるアンシュー・ジェイン氏が率いるトレーダー・バンカー部隊の一員だった。直接の上司はファン氏。ミスラ氏やファン氏の手を借りてジェイン氏はドイツ銀を債券取引の巨人に育て上げた。ナヘタ氏はロンドンに異動となり、自己勘定取引と仕組み金融を手掛けるチームに配属された。
ウィーラー氏によれば、ドイツ銀のトレーダーたちは向こう見ずで大きなリスクを取り、巨額のボーナスを受け取っていた。ミスラ氏はドイツ銀を、08年金融危機の中心だったクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)のトレーディングで最大手の1社にするのに寄与した。ファン氏は利益相反についての規則に違反したとの疑いの中でドイツ銀を去った。同氏はドイツ銀を提訴しその後和解した。ファン氏のスポークスマンは、同氏が全ての適切なコンプライアンス手順に従ったとし、取引を調査した英当局は不正を発見しなかったと説明した。
金融危機後、規制当局は銀行が取ってよいリスクを制限する新規則を導入。そうした規制の結果、ナヘタ氏のようなトレーダーにとって大手銀行での仕事は魅力が薄れた。同氏は10年にドイツ銀を去り、富裕層の資産を運用するヘッジファンドを設立。16年に東京を訪れ、自身のファンドに投資してくることを期待して孫氏に会った。ナヘタ氏はその時ビジョン・ファンドの計画を聞いた。孫氏に誘われて17年にソフトバンクG入りし、ファン氏らドイツ銀時代の仲間たちに合流した。
少数だがこれらのドイツ銀出身者が、ビジョン・ファンドの最重要ポストを占めている。彼らは組織全体の文化と慣行に対し影響力を持っていると、複数の従業員が匿名を条件に述べた。
ビジョン・ファンドの幹部の中でナヘタ氏ほど波風を立てる人間はほとんどいないと一部の同僚は話す。短気でつき合いにくい人物だという。リスク担当者の1人は、ナヘタ氏はいつもアドバイスに耳を貸し通常は勧められたことに従うが、しばしばとげのある態度を取ると論評した。
事情に詳しい関係者によると、ナヘタ氏は証券取引を管理する新しいシステムを作ろうとするコンプライアンス幹部らと衝突した。システムが完成する前に同氏のチームが取引を始めたためだという。ナヘタ氏はシステムが完成していると誤解したと説明。ソフトバンクGは同氏が待ちきれずに取引執行をチームに指示したというのは事実と異なると強調した。
一方、顧客や投資先企業の創業者はナヘタ氏の別の面を見ている。宅配の新興企業、ロギの共同創業者ファビエン・メンデス氏は「熱心で有能」と評し、製薬会社ロイバント・サイエンシズの創業者ビベク・ラマスワミ氏は「学ぶのが速い。われわれの業界についてすぐに学習した」とほめる。
ブレバン・ハワード・アセット・マネジメントの共同創業者アラン・ハワード氏は、ナヘタ氏は「素晴らしい投資家」だとし、「テクノロジーと金融を結び付ける能力は稀有(けう)のものだ。非常に特別な能力だ」と絶賛した。
ロイバントとロギを含むナヘタ氏の投資ポートフォリオは、ビジョン・ファンド全体に比べて成績が良い。ただ、ワイヤーカードは例外だ。ワイヤーカードへの出資に絡む転換社債と仕組み債を使った複雑な取引でナヘタ氏やクラウレ氏は大きな利益を上げたが、ワイヤーカードは今年6月、19億ユーロ(約2300億円)の資金の所在が分からなくなっていると明らかにし、CEOが辞任しその後逮捕されるスキャンダルへと発展した。
ナヘタ氏は4月にエヌビディアの幹部と会った。同社のジェンスン・フアンCEOはかねてから買収には消極的だが、アームに関心を持つかもしれないとナヘタ氏は考えたと、事情に詳しい関係者2人が述べた。エヌビディアの了解を得た後、ナヘタ氏は話を孫氏に持って行った。4週間後に孫氏も交渉にゴーサインを出し、7月末までにはソフトバンクGとエヌビディアは独占交渉に入っていた。両社は9月に合意を発表。ナヘタ氏は規制当局の承認が得られず合意が白紙に戻った場合でもソフトバンクGが受け取れる20億ドルの支払いをエヌビディアから獲得するのにも活躍した。
ソフトバンクG株が3月に安値を付けてからの資産売却の嵐で目玉となったのがアーム売却だ。「アーム売却後にはわれわれの手元資金は1000億ドル近くになる」とミスラ氏が10月に述べている。
これはさらなる波乱の要因になるかもしれない。その予兆として、孫氏はアップルやアマゾン・ドット・コム、フェイスブックなどのハイテク株投資を8月に明らかにした。デリバティブ(金融派生商品)を使ってエクスポージャーを増幅させる取引だ。ソフトバンクGの株主は孫氏がまた冒険に乗り出したと心配し、170億ドル相当の株を売った。この投資を率いたのは孫氏だが、ナヘタ氏は戦略実行のチームを集めるのに尽力し、ミスラ氏も関わっていた。
ドイツ銀出身者らと直接関わる内部関係者によれば、問題は彼らが頭が良く挑戦的でリスクを取るのを辞さないことではない。問題は、ソフトバンクGには金融機関に要求される堅固なインフラがないことだ。ソフトバンクの「バンク」とは名前だけだ。1981年にパソコン向けソフトウエアの卸売りを手掛ける会社として発足し、その後に通信事業へと進出した。金融サービスについての経験はほとんどなく、ウォール街の銀行と同じような規制の対象にはなっていない。同社は最近、リスク管理室の新設を発表した。
マサチューセッツ工科大学スローン経営大学院のハオシアン・チュウ准教授(金融学)は、「原則的には企業が多角化し金融市場のプレーヤーになることに問題はない。問題はコントロールとディスクロージャー(情報開示)だ」と語っている。
原題:Deutsche Bank Alumni Are Helping Son Remake Japan’s SoftBank(抜粋)