今月21日午後11時ごろ、第8管区海上保安本部(舞鶴)が、北朝鮮船籍貨物船「チョン・ボン(Chong Bong)号」から無線で救助要請を受けた。
「貨物倉庫が浸水している」
船は島根県・隠岐諸島から北北西約45キロの日本海の沖合を航行中だった。海保巡視船3隻等が現場に急行したが、貨物船は大きく傾いた。乗組員21人は救命艇で脱出し、22日午前4時過ぎ、付近を航行中の北朝鮮船籍タンカー「ユ・ジョン(Yu Jong)2号」に救助された。タンカーはほどなく現場海域を離れた。貨物船は東に約30キロ漂流し、沈没した。
1人の命も失われなかったことは何よりだ。が、問題が一つある。実は、この貨物船もタンカーも、国連安全保障理事会が制裁対象に指定した、密輸の「常習犯」だった。長年にわたり米国等の関係諸国が追跡してきた船舶である。乗組員全員が、度重なる国連制裁違反の責任を問われている。
海保は、日本の排他的経済水域(EEZ)で、「お尋ね者」が救助されて目前から立ち去るのを見守るしかなかったようだ。もう少し何かできなかったものか。
≪「お尋ね者」の過去≫
チョン・ボン号は2015年8月までの間、「Blue Nouvelle号」や「Greenlight号」という名前で、キリバス共和国やカンボジア籍として国際海事機関に登録されていた。しかし実のところ同船は、北朝鮮の当時最大の海運会社「オーシャン・マリタイム・マネジメント社(OMM)」が運航する、外国籍偽装の北朝鮮船だった。
OMMは13年7月、ミグ戦闘機や地対空ミサイルシステム等の大量の兵器を、キューバから北朝鮮向けに大型貨物船で密輸中、通過地点のパナマ運河で現地当局に摘発された。史上最大規模の兵器密輸摘発事件だった。国連安保理は重大な制裁違反とみなし14年にOMMを制裁対象に指定した。
チョン・ボン号はOMM管轄船として国連制裁対象に指定された。もしこの船が外国に寄港すれば、拘留すべき対象とされた。が、同船は船籍を北朝鮮に変更し、同国政府の庇護(ひご)下でその後も堂々と航行を続けた。
他方、ユ・ジョン2号も国連制裁違反の「常習犯」のタンカーだ。同船は18年2月、東シナ海の公海上で、国連安保理決議で禁止された石油精製品の「瀬取り」中、海上自衛隊の護衛艦とP―3C哨戒機に摘発された。同船も度重なる制裁違反行為が確認され、例えば19年7月には堂々と中国・山東省の港に入出港した。中国当局は国連制裁船を取り締まらず、支援すらしているとみられ、あからさまな安保理決議違反だ。
≪沈没直前の不審な動き≫
密輸業者は米政府等の監視を気にする。船舶の位置情報を電波発信する「自動船舶識別装置(AIS)」の電源を切り、位置を把握されにくいよう工夫する。今回も典型的な例だ。
チョン・ボン号の船員は沈没前、海保との無線通信で、「船は鉄を積んで北朝鮮の清津港を出発し同国の松林港へ向かう途中だった」と説明したという。だが、そもそも同船の位置情報はほとんど不明で、4月中旬以降どこにも寄港実績が記録されていない。沈没の直前、船は韓国東海岸沖の日本海を南下中だったが、その間もほとんどAISの電源を切っていた。船が遭難しそうになって初めて位置情報を発信した。
ユ・ジョン2号の位置情報もほとんど記録されていない。事故の際、どこからともなく現れ貨物船の乗組員を救助した後、再び行方をくらました。
≪積極的に救助し尋問せよ≫
緊急時に人命救助が最優先されるべきは論をまたない。EEZでは航行の自由が優先され、現場に急行した海保にはできることが限られる。だがチョン・ボン号が日本のEEZで沈没後、油の流出が確認された。EEZで沿岸国は「海洋環境の保護及び保全」の管轄権を有し(海洋法に関する国連条約56条)、同条約に従って法令遵守(じゅんしゅ)確保のため、乗船、検査、掌捕等の必要な措置を取ることができる。
また国連安保理は決議2375号第7項で、船の貨物に禁輸品が含まれる合理的根拠がある場合、当該船に対して「旗国の同意を得て公海上で船舶を検査すること」を国連加盟国に要請している。もちろん「旗国」が北朝鮮の場合、同国政府が船舶検査に同意することはない。が、厳格な対応の意思を示し、制裁違反船舶に警告すれば一定の抑止にはなろう。
制裁違反船の乗組員は、外国の密輸パートナー企業等の重要情報を知っている。海保は北朝鮮乗組員を積極的に救助し、彼らの安全を確保したうえで、尋問を試みる。EEZを通過する制裁違反船に対しては、少なくとも可能な限り船舶検査を北朝鮮側に要請する。国連制裁違反船に対してもう少し踏み込んだ措置を取れないか、検討すべきだ。
救命救助は、制裁違反の無罪放免を意味するわけではない。(ふるかわ かつひさ)