中国に批判的な論調で知られる香港の新聞「リンゴ日報」は、香港国家安全維持法に違反したとして警察に資金が凍結されたことなどを受けて、24日の朝刊を最後に発行停止に追い込まれました。1997年に香港が中国へ返還されたあとも保障されてきた香港の「言論の自由」は、大きく後退する事態となりました。
香港の新聞「リンゴ日報」は、香港国家安全維持法に違反した疑いで幹部の逮捕が相次いだうえ警察に資金が凍結され、24日の朝刊を最後に新聞の発行を停止することになりました。
郊外にあるリンゴ日報の本社前には23日夜遅く、数百人の市民が集まり、建物内で最後の編集作業にあたる記者らに向けて「ありがとう」などと声援を送りました。
また、繁華街にある新聞販売店では、販売開始の数時間前から最後の朝刊を買い求めようと人が集まり始め、数百メートルにわたる長い列ができました。
新聞を買いに来た女性は「とても悲しい。リンゴ日報がなくなり、香港で真相を伝えてくれる新聞がなくなってしまう。今後何を読めばよいかわからない」と話していました。
また別の男性は「香港国家安全維持法が施行されたあと、これまで言えたことが言えなくなった。きょうは香港の言論の自由が終わった日だ」と怒りをあらわにしていました。
リンゴ日報によりますと、最後の朝刊は香港全体の人口のおよそ7分の1にあたる100万部を発行したということです。
リンゴ日報は中国や香港の政府を厳しく批判してきたことで知られ、多くの市民に支持されてきましたが、1995年の創刊から26年の歴史に幕を閉じることで、香港が中国へ返還されたあとも一国二制度のもと保障されてきた香港の「言論の自由」は大きく後退する事態となりました。
最後の紙面は
最後となった「リンゴ日報」の24日朝の朝刊には、一面の半分を使って「雨の中のつらい別れ」の見出しとともに、本社前に集まって声援を送る大勢の市民の写真が掲載されました。
このほか多くの紙面を割いて、かつてリンゴ日報を率いてきた幹部たちが思い出をつづった記事や、発行停止を残念がるもの、それに感謝の気持ちを表したものなど読者のコメントを紹介しています。
また、別冊では1995年の創刊号から24日の朝刊までの紙面を写真で振り返るとともに「香港人への別れの手紙」と題して、副社長が「読者や香港の皆さんがこの1週間、リンゴ日報を応援してくれたにもかかわらず、期待に応えられず申し訳ない」などと無念の思いを表しています。
ニュースサイトも停止「ここでお別れ」
「リンゴ日報」のニュースサイトは、現地時間24日の午前0時半すぎに、NHKが確認したところ、記事の閲覧ができなくなり、代わりに「購読者へのお知らせ」と題して文章のみが表示される画面になりました。
この中では、23日をもってニュースサイトやアプリが停止するなどとしたうえで「読者や購読者、広告主、そして香港の人たちの変わらぬご支援に感謝します。ここでお別れです。お元気で」というメッセージで締めくくられています。
「リンゴ日報」とは
「リンゴ日報」は香港がイギリスから中国に返還される2年前の1995年に黎智英氏が創刊した日刊の新聞です。
名前の由来は聖書に出てくるアダムとイブが食べた禁断の果実で、黎氏は「もしかじっていなければ世の中には物事の是非も罪悪も、もちろんニュースも存在しなかったからだ」と説明しています。
創刊当初から娯楽ニュースや犯罪報道に焦点を当て、センセーショナルな記事や大胆な見出しで知られるようになり、人気大衆紙としての地位を確立していきます。
そして徐々に政治のニュースも取り上げるようになり、中国政府に批判的な論調を展開しました。
民主派寄りの報道姿勢でも知られ、おととし6月に香港で行われた大規模な抗議活動についても民主派を支持する姿勢を明確に打ち出しました。
香港が中国に返還されて以降多くの香港メディアが中国本土の資本を受け入れるなどして、政府批判を控えるようになる中、香港の民主派などからは「言論の自由を守る最後のとりでだ」とも言われてきました。
一方、香港の警察はこうした報道姿勢を「偏っている」と繰り返し批判し、中国政府寄りの政党やメディアなどからも厳しい非難や攻撃を受けてきました。
先月には台湾で出していた新聞「台湾リンゴ日報」が発行停止に追い込まれていて、創業者の黎氏が香港国家安全維持法違反の罪に問われ、経営状況が厳しくなっていることなどが理由だとみられていました。
イギリス外相「表現の自由に対する恐るべき一撃」
イギリスのラーブ外相は、リンゴ日報の発行停止について、声明を発表し「香港における表現の自由に対する恐るべき一撃だ」と香港当局を批判したうえで「香港国家安全維持法が、秩序を維持するというよりも自由を奪い異なる意見を罰するために使われてきたのは明らかだ」と述べました。
そして、中国政府は香港返還の際に確認した共同声明で、香港における報道の自由を守ることを約束したとして、その約束を守るべきだと主張しました。