[北京 26日 ロイター] – 中国で発足した3期目の習近平指導部から外れた幹部の中で、最も注目を集めた3人の重鎮には、いずれも「共産主義青年団(共青団)」の出身という特徴がある。かつて強大な力を持つ勢力だった共青団も、党トップの総書記に再任された習氏に対する影響力は事実上、消滅したかたちだ。

3人のうち李克強首相と汪洋・全国政治協商会議主席はともに67歳で、最高指導部の政治局常務委員に再任される条件を満たしていたが、より下部の組織である中央委員会のメンバーの資格さえも失った。その代わり、習氏は自らに忠実な側近などを起用した。

残る1人の胡春華副首相は、一部の中国共産党ウオッチャーから次期首相候補と目され、将来は国家主席の可能性もあると予想されていた人物だ。それでも結局24人で構成される指導部の政治局員にとどまることができなかった。

専門家はこうした人事について、共青団出身者を指導部から排除しようという習氏の長年の取り組みが成功した結果だとみている。

カリフォルニア大学サンディエゴ校教授で中国の政治指導部を専門に研究するビクター・シン氏は「胡春華氏の人事こそが、共青団を閉め出そうとする習氏の作戦の主要部分だったと思う。習氏はかなりの数の共青団幹部が出世する芽を摘んできた」と述べた。

共青団の凋落を象徴する劇的な出来事だったのが、出身者で前総書記(前国家主席)の胡錦濤氏(79)の党大会閉幕式における途中退席だ。どのような事情があったのかはまだはっきりしていないが、国営通信の新華社は体調問題と説明している。

ブルッキングス研究所の中国指導部交代に関する専門家、チェン・リー氏は「共青団は完全に敗北した。つまり習氏は多くのことを望み通りに実行できるようになり、反対勢力は弱まった。習氏は西欧式の勢力均衡を好まず、権力がさらに自分に集中したと誇示したがっていると読み取れる」と指摘した。

<力の衰え>

伝統的に共青団は主として高校や大学の優秀な人材を勧誘し、共産党にエリート幹部を供給する組織として機能してきた。

ただ、公式統計によると、習氏が初めて権力を掌握した2012年に7億元(9600万ドル)近かった共青団の予算は、昨年時点で約2億6000万元に縮小この間に人員も9000万人前後から7400万人前後に減っている。共産党の党員総数は約9700万人だ。

シカゴ大学の政治学者ダリ・ヤン氏は、党をけん引する組織として見た場合、指導者養成場所という面で共青団の力は衰退していると話す。

それでもヤン氏は「共青団は既に政治情勢の変化に順応しようと、必死に努力している」と強調。具体的対応としてソーシャルメディアで存在感を示すことや、愛国精神の高揚、民間部門との連携などを挙げた。

例えば、共青団は複数の外国ブランドに対して、事実と異なる広告などで中国を不当に扱っていると活発に非難している。昨年には、共青団の河南省支部が洪水を報道していたBBC記者の居場所をソーシャルメディアのフォロワーに報告するよう求めた後で、西側のジャーナリストが相次いで殺害の脅迫を受けたという。

一方、胡錦濤氏の側近だった令計画氏が2012年、交通事故による息子の死の真相を隠そうとしたことが分かり、共青団の政治的地位低下につながった。令計画氏はその後、収賄罪などで訴追され、終身刑を科せられた。

<消えない内部対立>

もっとも100年前に中国共産党が結成されて以来、さまざまな派閥や徒党、権力グループなどが出現してきた。

有名なのは元総書記の江沢民氏(96)が率いた「上海幇」で、習氏の派閥はいわゆる「之江新軍」と呼ばれる。これは習氏が浙江省党委書記だった2002-07年に形成されたとみられる。

韓国の延世大学教授で中国研究者のジョン・デルリー氏は、新指導部には習氏の支配的地位が色濃く反映されていると分析しつつ「だが、世の中のどんな政治制度も内部対立や競争、権力闘争を完全に消し去れないと歴史が教えてくれる。時間はかかるだろうが、1つの派閥がなくなっても、いずれは新たな派閥が登場することになる」と言い切った。

(Martin Quin Pollard記者)