[東京 20日 ロイター] – 黒田東彦氏が日銀総裁を務めた10年で、ドルの対円相場はそれまでのレンジを大きく上振れた。当初は歓迎ムードが強かったものの、ここ数年は海外要因も加わり、輸入インフレを助長。投機筋を巻き込んだ急激な円安に、当局は異例の円買い介入に踏み切った。日銀の思惑を超えて進んだ円安は、貿易赤字や対外直接投資の増加など新たなリスクをあらわにしている。大規模緩和の先行きは、市場に新たな変動を生み出す可能性もある。 2月20日、 黒田東彦氏が日銀総裁を務めた10年で、ドルの対円相場はそれまでのレンジを大きく上振れた。写真は円紙幣。2022年6月撮影(2023年 ロイター/Florence Lo)
<10年間の円安、実は短期集中型>
この10年間、年間で円安が進んだのは4回にとどまる。2回はほぼ横ばいで、4回は円高が進んだ。円は対ドルで2012年11月の86円から昨年の151円まで約75%減価したが、円安は13年と14年、21年と22年の2度、集中的に発生しただけだ。
13─14年の円安第1波は、黒田日銀による「異次元緩和」だけでなく、政府とのポリシーミックスが大きな要因となった。13年1月に政府・日銀が共同声明(アコード)を発表し、4月には黒田氏が「2年で(物価上昇率)2%」達成を宣言した。年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の外貨投資シフトも進んだ。
市場もその動きに乗った。米商品先物取引委員会(CFTC)が集計する投機筋の円売りポジションは一時、過去最大を記録した07年以来の水準に達した。ある大手金融機関の元幹部は「政治主導の円安に賭けて負けるはずがない。許容範囲の上限近くまで、全力で円を売り込んだ」と当時を振り返る。
その後も黒田日銀は、14年10月に大規模緩和策をさらに拡大、16年1月にマイナス金利の導入を決定、同年9月にイールドカーブ・コントロール(長短金利操作、YCC)の採用と次々に手を打った。しかし、円安効果は次第に低下し、16年には一時100円を下回るドル安/円高が進行した。
<コントロール外>
21年から始まる円安第2波は、黒田緩和とは別の要因が主導した。1つは「実需の円売り」と呼ばれる貿易赤字の急拡大だ。世界経済回復による需要増にロシアのウクライナ侵攻による供給不安が重なり、原油価格は22年3月までの1年半で4倍近く跳ね上がった。
日本の年間輸入額は昨年、初めて100兆円を突破、貿易赤字は過去最大を記録した。JPモルガン証券によると、昨年の貿易赤字は対名目GDP比で3%半ばと、1957年以来65年ぶりの高水準に達した。
世界的なインフレに対応するため、各国中銀は金融引き締めに転じ、大規模緩和を堅持する日本との金利差が拡大。対ドルの円は32年ぶり安値となる151円まで一気に下落した。政府・日銀の狙いを超えて発生した円安は、投機筋の参戦もあって1日に数円下落するなど暴走した。
これに対し、当局は円買い介入を実施。昨年10月21日には、過去最大となる5兆6202億円の介入を実施した。しかし、金融緩和と円買い介入という政策の明確な齟齬(そご)はその後、黒田緩和の修正期待となって、現在の円相場を覆っている
<「キャピタルフライト」のリスク>
2度の円安局面を経て、通貨の実力を示す実質実効レートはリーマンショック時を超えて最安値を更新。ドル/円の実勢レートは消費者物価指数からみた購買力平価を36年ぶりに上抜けた。
円安をもたらす政策には危険が伴う。最大のリスクは、自国通貨の減価を嫌う「キャピタル・フライト(資金逃避)」だ。一般投資家による外貨資産投資へのシフトはまだ限定的だが、日本企業による海外企業の買収である海外直接投資は増加傾向が続いている。
それまで年間10兆円に満たなかった対外直接投資は、サプライチェーンの強化などを目的に13年頃から増加。18年には武田薬品工業がアイルランド製薬大手シャイアーを過去最大の460億ポンド(約6兆8000億円)で買収するなど、大型案件も続出した。
海外企業の買収は事業の国際展開をにらんだ前向きな投資にも見えるが、「成長市場ではない日本には投資しづらい」(大手メーカー首脳)ことの裏返しでもある。JPモルガン・チェース銀行の市場調査本部長、佐々木融氏は、対外直接投資増による円安は「日本企業によるキャピタルフライト(資本逃避)という構造問題」だと警鐘を鳴らす。
10年にわたる大規模緩和は歴史的な円安を引き起こしたが、日本経済の潜在成長率を高めることはできず、むしろ今は円安はリスクとなっている。しかし、世界で唯一マイナス金利政策を取り続ける日銀が方向転換するインパクトは小さくない。
次期日銀総裁は「市場に大きな影響を与えず、どう正常化を進めるのかが課題」(ニッセイ基礎研究所の上席エコノミスト、上野剛志氏)となるが、手仕舞いは容易ではない。
(基太村真司、坂口茉莉子 編集:伊賀大記、石田仁志)