オピニオン唐鎌大輔 みずほ銀行 チーフマーケット・エコノミスト
[東京 10日] – 2年以上にわたって続く円安局面を前に「何か対応策はないのか」という照会が確実に増えている。円安抑止策は、為替介入や利上げといった裁量的なマクロ経済政策を脇に置けば、対内直接投資促進とインバウンド奨励が注目されやすく、いずれも正しい対応と言える。
しかし、策はほかにもある。例えば「日本企業が保有する外貨を国内へ送金する際の法人税を減免する」といういわゆる「リパトリ減税」は為替市場で耳目を引いており、ロイターなどの報道では政府・与党が6月にまとめる経済・財政政策の基本方針「骨太の方針」に盛り込まれるという観測もある。
リパトリ減税に関しては、2022年9月の寄稿「進む円安、抑止に『リパトリ減税』という処方箋」で詳しく議論した。
直感的に、すでに海外子会社から受けとる配当益金の95%相当額が非課税所得とされている以上、残り5%部分を非課税にしても大きな効果は期待できないという印象は強く、実際そういった声は多い。
一方、日本に残されたカードはさほど多くないことを思えば、実質的に大きな効果を期待できなくても残る「5%の摩擦」にこだわるべきという考え方もある。確かに、政府が主導して円買いフローを創出しようという姿勢は投機的な円売りに対抗するメッセージになり得る。米国や英国、シンガポールといった国際金融センターと呼ばれる国では100%非課税だ。対応策を問われた時に、まだやれることはあるという意味で言及はしておきたい。
<NISA国内投資枠という円安抑止策>
しかし、リパトリ減税は文字通り対症療法であり、効果もワンショットで終わる可能性が高い。もちろん「ワンショットでも、時間稼ぎは必要」という考え方も尊重すべき現状ではあるが、対策がこれだけというのも心もとない。
より持続的な円安抑止策として、筆者はNISA(少額投資非課税制度)国内投資枠の新設という考え方に注目している。
周知の通り、年初来の円安相場には新NISAに伴う海外株式の購入、いわゆる「家計の円売り」が寄与している側面も大きいと言われる。財務省データによると、投資信託経由の対外証券投資は今年1─3月期だけで約3.5兆円に達しており、これは例年で言えば1年分に匹敵する。
それが主因かどうかはさておき、円安地合いに寄与しているのはほぼ間違いないだろう。過去の本コラムでも「家計の円売りこそ本当の円安リスク」として危惧してきた経緯があるが、その懸念は半ば実現しつつあるように思える。
このペースで投資信託経由の対外証券投資が出続けると仮定した場合、年間で優に10兆円を超える円売りが家計から出てくることになる。まだ資産運用に着手していない層も多そうであるから、潜在的な拡大余地も大きいだろう。看過できる論点ではない。
<国内投資枠で海外投資は減る可能性>
では、現行の「つみたて投資枠」と「成長投資枠」に加えて、「国内投資枠」を設けた場合、どのような効果が期待されるのか。内外の成長率格差を踏まえれば、今後も海外株への投資意欲が相応に強い状況は続く可能性はある。とはいえ、ここまで進んだ円安相場を踏まえ、ここからの為替リスクを取ることに及び腰になる層も増えてくる可能性はある。国内投資枠はそうした層の受け皿になり得る。
もちろん、国内投資枠が新設された分、新規投資資金が増えるというのであれば「家計の円売り」の勢いは変わらないが、恐らくそうはならないだろう。
というのも、現行の年間360万円(つみたて投資枠120万円、成長投資枠240万円)の枠を使い切る個人投資家は多数派ではないからだ。金融庁の「NISA口座の利用状況調査」によれば、2023年9月末時点のNISA口座数は2034万7312口座、その買い付け額は34兆0281億4597万円だ。単純計算で1口座当たり167万円だ。年間360万円の枠が拡大されても、元々使い切っていないのだから大勢に影響はない。
国内投資枠が新設された場合、海外投資に流れていた資金の一部は国内投資へと代替される展開が予見される。つまり国内投資枠が増えた部分は選択可能性の拡大でしかない。
国内投資に配分された分、海外資産への投資(円売り)が減ることになるのであれば、それは立派な円安抑止策になる。主要7カ国(G7)の一角である日本では資本規制が難しいものの、インセンティブ設計として流出を減らす工夫は可能だ。
<英国で先行する国内投資枠>
この動きはすでに英国が検討し始めている。今年4月、英政府は春に発表された予算編成方針においてNISAの原形とされるISA(個人貯蓄口座)に関し、英国株投資の非課税枠を現在の年間2万ポンドから2万5000ポンドに引き上げる意向を表明した。
ただ、同国では今秋に総選挙を控えており、政権交代の可能性なども踏まえれば、同案自体がどう転ぶかはまだ分からない。しかし、この方針が固まった際には日本でも同じ方針を求める機運が高まる可能性はあるように思う。
家計部門の運用資金が海外ではなく国内に配分されるようになれば、日本株は上昇し、円売りも抑制されて一石二鳥となる。新NISAは稼働の初年度であり、新しい選択可能性を提示するには良い時期であることも助けになるだろう。
少なくとも、円安の一因として注目されている「家計の円売り」に対抗する手段として、NISA国内枠の新設は利上げや為替介入は元より、冒頭で紹介したリパトリ減税案と比較しても持続力を持ち得るように思えるし、政府の掲げる資産運用立国の方針とも合致する。
裏を返せば「家計の円売り」を早い段階でけん制しておかねば、そのまま一部が「帰ってこない外貨」となってしまう恐れがあるため、早めに手を打った方が良いようにも思える。
<抜本的な政策は別>
もっとも、リパトリ減税は元より、NISA国内投資枠の新設も円安相場を反転させるような抜本的な政策とまでは言えない。そもそも市場に存在する全ての円売りを吸収する政策など存在しない。身もふたもない話をしてしまえば、変動為替相場において為替市場の流れを根本的に変えられるのは米国だけだ。
そう割り切った上で当面の日本に求められているのは「持続的な時間稼ぎの手段」であり、リパトリ減税やNISA国内投資枠もその一環だと筆者は考える。少しの時間であっても、為替市場の平準化(スムージング)も図ることができれば、事業法人などにとって良好な市場環境を確保することができる。そこにも意義はある。
様々な対症療法を組み合わせて時間稼ぎをしている間に、対内直接投資の積み上げであったり、電源構成の修正であったり、労働力の確保(および移民政策の是非)であったりを議論することで中長期的な円相場の需給改善を図るという姿勢が王道であると考えておきたい。
編集:宗えりか、田巻一彦
(本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています)
*唐鎌大輔氏は、みずほ銀行のチーフマーケット・エコノミスト。2004年慶應義塾大学経済学部卒業後、日本貿易振興機構(ジェトロ)入構。06年から日本経済研究センター、07年からは欧州委員会経済金融総局(ベルギー)に出向。2008年10月より、みずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)。欧州委員会出向時には、日本人唯一のエコノミストとしてEU経済見通しの作成などに携わった。著書に「欧州リスク:日本化・円化・日銀化」(東洋経済新報社、2014年7月) 、「ECB 欧州中央銀行:組織、戦略から銀行監督まで」(東洋経済新報社、2017年11月)。新聞・TVなどメディア出演多数。