唐鎌大輔 みずほ銀行 チーフマーケット・エコノミスト

コラム:曖昧すぎるデフレの定義、国民が望むは「インフレ脱却」=唐鎌大輔氏

[東京 15日] – 石破茂首相は自民党総裁選後の会見で「デフレからの完全脱却は首相就任後3年間で達成する」と述べたが、この発言に違和感を覚えた向きが多かったようだ。総選挙を控える状況で石破新政権への評価を下すのは尚早である。ただ、デフレ脱却を声高に叫ばれると、「それは違う」と感じるのが世論の大半だということも理解できる。

<国民が望むのは「インフレ脱却」>

というのも、国民が望むのは「デフレ脱却」ではなく恐らく「インフレ脱却」の方が近いからだ。政界全体で物価高対策が争点化し、実質賃金のプラス転化とその定着が希求される状況を踏まえれば、今の日本経済の足かせとなっているのは「上がる物価(インフレ)」であって「上がらない物価(デフレ)」ではない。

例えば、実質賃金の低迷は続いている。8月毎月勤労統計では実質賃金が前年同月比マイナス0.6%と3カ月ぶりのマイナスに転落した。6月分が2022年3月以来、実に2年3カ月ぶりにプラスとなったことが話題になり、7月分も増勢が維持されたが、この2カ月間は特別給与すなわち賞与による一時的な押し上げが反映された結果でもあった。8月も持続性を判断する上で重要な項目である「決まって支給する給与」が同プラス3.0%と32年4カ月ぶりの高い伸びを示したものの、持ち家の帰属家賃を除く消費者物価指数(CPI)が7月の同プラス3.2%から8月は同プラス3.5%へ加速する中、実質賃金がマイナスに押しやられている。円安・資源高発・輸入物価経由の一般物価上昇が家計部門の所得環境を損なっている状況は否めない。

<「デフレの定義」を整理する時>

では、「上がる物価(インフレ)」が問題視される現状を踏まえ政府がデフレ脱却宣言に踏み切れば良いのだろうか。それも簡単ではない。脱却宣言を受けた世論は恐らく「生活は苦しいままだ」と政権への反意を強める可能性がある。だからこそ岸田政権もデフレ脱却宣言への期待が一時期浮上しながらも、遂にそこへ至ることは無かった。デフレは、そこからの脱却を目標化することも、そこからの脱却を宣言することも世論が違和感を覚えるという難しい状況にある。

なぜ、このような状況になっているのか。ひとえに「デフレの定義」が曖昧なまま放置されているからだろう。何となく景気が冴えない状況を総称してデフレという言葉に集約しているため、あらゆる経済主体にとって使い勝手の良い言葉になりがちなのである。しかし、「デフレの定義」は経済主体にとって異なるように感じる。

1990年代後半以降、デフレとは政府・日銀にとっては「CPIの低迷」であったが、企業にとっては長年続く「円高・株安」であり、海外投資家にとってもやはり「円高・株安」であったように筆者は考えている。異次元緩和が起動する2013年以前、日本経済にとって慢性的な円高・株安が宿痾(しゅくあ)のように考えられていた。実際、過去に行われた日銀の追加緩和はそのほとんどが円高・株安への対処だったはずだ。そして慢性的な円高ゆえに輸入物価も抑制され、一般物価も上がりにくい状況があった(もちろん物価が上がらなかったのは円高のせいだけではない)。少なくとも約10年前まではデフレという言葉は多くの経済主体にとって最大公約数を捉える便利なフレーズであった。

特に「CPIの低迷」という表層的な状況の解決に傾倒したのが政府・日銀が総力を挙げた「アベノミクス」であり、象徴的には黒田東彦体制下での異次元緩和であった。その余波で継続される金融緩和路線とこれを一因とする円安、さらに資源高の影響も相まって「CPIの低迷」という表層的な状況は現状では解消されているし、円安を起爆剤として株高も実現している。現状、「CPIの低迷」や「円高・株安」という意味でのデフレに関し、脱却は完了済みと言っても差し支えないだろう。

<国民にとってのデフレとは「実質賃金の低迷」>

しかし、家計部門(国民)においては「こんなはずではなかった」という感情が強いだろう。それは家計部門にとってのデフレとは「実質賃金の低迷」だったからではないかと思う。日銀の「生活意識に関するアンケート調査(24年9月分)」では「物価に関する受け止め」に関し83.6%が「どちらかと言えば、困ったことだ」と回答している。そもそもデフレという現象に対し、政府・日銀と家計では問題意識の置きどころが同じではない。物価に関し、前者は上がって欲しいが後者は上がって欲しくないという認識相違がある。

日本の家計部門は長年、名目・実質双方のベースで上がらない賃金を強いられてきた。「慢性的な不況」と「実質賃金の低迷」がデフレという便利なフレーズに押し込められ「デフレを脱却しなければならない」という価値観が家計部門に強く根付いているように思う。その認識でも最近までは大きな問題にならなかったが、インフレが定着したことで家計部門とそれ以外の間で「デフレの定義」の差異が浮き彫りになってきているのが現状に見受けられる。

<「デフレ」の使用に終止符を>

今回、石破首相が口にしたデフレ脱却は、本来的に政府・日銀が念頭に置いていた「CPIの低迷」という意味ではなく、おそらく家計部門が抱いている「実質賃金の低迷」という意味で使ったのだろう。しかし、多くの国民にはその真意が伝わっていないかもしれない。額面通り受け止めれば、物価上昇を望む政治からの情報発信のように見えかねないため、石破首相がデフレ脱却を強調するほど家計部門は「何もわかっていない」という反感を覚えてしまう(国民はデフレという言葉をそこまで深く考えていないとも言える)。

今後、政府は「CPIの低迷」という意味でのデフレはもう終わったということを説明した上で、デフレという言葉から少しずつフェードアウトし、その使用に終止符を打つ必要があるのではないか。政治的な痛みを覚悟で一気呵成(かせい)にデフレ脱却宣言をしても良いかもしれない。案外、物価高で困っている今ならば納得感を得られる可能性もある。その上で本当の問題はインフレ脱却、これに伴う「実質賃金の低迷」の解消であることを強調すれば良いだろう。何らかの形でデフレというフレーズに対する意識変革を起こさなければ、多くの国民が小さくない違和感を抱きながら、政治のデフレ脱却論議に付き合わされる状況が続くことになる。「実質賃金の低迷」の遠因となっている円安およびこれとセットと考えられている円金利の長期低迷に終止符を打つことが、実体経済が復調するための迂遠な道に見えて王道に思える。

<円安と金利上昇の二者択一>

誰がリーダーになろうと円安か金利上昇のいずれかは受け入れる必要がある。為替を制御するのが難しい以上、緩やかな金利上昇を甘受した上で円安抑制を図るしかあるまい。もちろん、日銀の連続利上げが難しいことは理解できる。ただ、わざわざ政治的にその運営をけん制するような所作は不必要な円安を招くリスクがあるため、控えた方が良い。この点、石破首相は12日の自民党党首討論会で「政府が何を言ったとしても、日銀は日銀として独自の判断がある」と述べており、恐らく正しい問題意識を備えているように思えた。円安は「実質賃金の低迷」を助長するのだから家計部門はそれを良く思わないし、最終的には時の政権への批判として返ってくる可能性が高い。現状、日銀は内外金融情勢を見極めながら正常化に動こうとしている。積極的に利上げを応援する必要はないが、政治からノイズを増やしてその見極めを難しくする必要もない。

編集:宗えりか

(本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています)

*唐鎌大輔氏は、みずほ銀行のチーフマーケット・エコノミスト。2004年慶應義塾大学経済学部卒業後、日本貿易振興機構(ジェトロ)入構。06年から日本経済研究センター、07年からは欧州委員会経済金融総局(ベルギー)に出向。2008年10月より、みずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)。欧州委員会出向時には、日本人唯一のエコノミストとしてEU経済見通しの作成などに携わった。著書に「欧州リスク:日本化・円化・日銀化」(東洋経済新報社、2014年7月) 、「ECB 欧州中央銀行:組織、戦略から銀行監督まで」(東洋経済新報社、2017年11月)。新聞・TVなどメディア出演多数。