米大統領選挙の前夜、トランプ氏の支持者集会にいたラトガー大学のアレクサンダー・ヒントン教授(人類学)から電話があった。すでにトランプ氏勝利を確信しているというヒントン教授は、仕事の領域として「MAGA(米国を再び偉大に)」のムーブメントを観察。これまでに数え切れないほどトランプ氏の支持集会に足を運んだ。支持者が見せるトランプ氏への熱意は並外れているという。「ショーの演出方法を心得ている」と教授はトランプ氏を評した。
教授がトランプ氏勝利を予測した根拠は、エンターテイナーとしての能力と、コーヒー1杯の価格を下げて消費者のお財布事情を暖かくできると支持者に信じ込ませる話法だ。
トランプ氏とその経済公約を支持者が真に受けるのは、同氏が「ありのままに語っている」と支持者が受け止めていることがその源にある。つまりトランプ氏は歯に衣(きぬ)着せぬ正直者だという理解だ。2020年の選挙は同氏が勝利したとの主張をはじめ、無数の作り話も支持者の意識を変えはしない。10年前に政界で頭角を現してきてから同氏を観察してきた専門家や世論調査担当者らは、このパラドックスに困惑している。20年の選挙で敗北し、22年の中間選挙で送り込んだ刺客の多くが落選したにもかかわらず、トランプ氏自身は3度も大統領選に出馬できた。この事実は、個人崇拝カルトに対するわれわれのぜい弱性を浮かび上がらせる。
「ありのままを語っている」とされるもののほとんどは、トランプ氏が完全に主観的な判断を確信に満ちた口調で述べているに過ぎない。例えば敵の一部を「負け犬」や「ばか者」あるいは「知能指数(IQ)が低い」と決めつけ、あるライバルの顔が大統領にふさわしくないなどとした罵詈(ばり)雑言がそれだ。これを残酷なまでの正直さと呼ぶ人もいるかもしれないが、正直からはかけ離れた話だ。ザ・ウィークリー誌はこれを「狂信的な自信過剰」と呼び、これを「率直な言い回しと受け止める人もいる」としている。その意味では確かにトランプ氏はありのままを語っていると言える。同氏の利己的な考えのままに語っているということだ。
シカゴ大学のダリオ・マエストリピエリ教授(行動科学)は「ナルシシストがやっかいなのは、真実と虚偽の違いが意味を持たないことだ」と語る。彼らは自分に都合の良いことしか気にしない。そしてトランプ氏のナルシシズムは同氏をカリスマにしていると教授は述べた。
トランプ氏の話ぶりは、その確信の度合いが高いために物事を分かっているかのように聞こえる。他人を侮辱する発言は、その標的になっていない人にはショーの一部として面白おかしく聞こえる。つまり支持者はばか者ではないとトランプ氏が暗に示唆していると受け止め、お世辞を言われている気になる。また不法移民など特定のカテゴリーを攻撃するのは、問題の責任転嫁先を一部の支持者に示して見せている。具体的に言えば不法移民の話は、米国移住のためにあらゆるハードルを克服した合法的移民の間に強い憤りを広めた。
米紙ニューヨーク・タイムズのコラムニスト、エズラ・クライン氏は少し異なるアングルから分析する。他人にどう思われようがまったく構わないトランプ氏の「脱抑制」に、クライン氏は着目した。例えばフィラデルフィア郊外での集会で、トランプ氏が質疑応答を中断し、30分以上も音楽に合わせて体を揺らして見せた奇妙な行動について考察した。
同様に異常なまでの自信は、ジョー・ローガン氏のポッドキャストに出演した際にもみられた。3時間にわたるインタビューを全て視聴した私は、「ありのままを語っている」という表現にふさわしい、心が洗われるような正直さをトランプ氏が語る場面を一度も目撃しなかった。同時に明らかな虚言が多く繰り出されることもなかった。実際トランプ氏は自分の考えを最後まで語り終えることはなく、何度も脱線し、とりとめない言葉を脈絡なくつなげて、自慢げにまくし立てただけだった。
2016年にホワイトハウスに引っ越した時の印象を尋ねられ、トランプ氏はリンカーン・ベッドルームについてツアーガイドのようにその部屋にある品々やリンカーン家の私生活について詳しく説明。気候問題や原子力、風力発電について自信満々に大胆な発言をした後は、カリフォルニア州中央部がかつて巨大な湖に覆われていたという逸話に脱線し、聞く者を混乱させた。
3時間にしては情報量が奇妙に少ないインタビューだった。しかしローガン氏のポッドキャストを聞いている知人らは、普段から何かをやりながら受動的に聞くか、後で短く編集されたポイントだけを聞くのだという。メディアを通じた情報の消費は根本的に変化している。上の空で聞いていれば、多くのトピックを自信たっぷりに語るトランプ氏に感心するかもしれない。気持ち半分で聞いていれば、知識が豊富な人物のように思えるだろう。
トランプ氏は時に意味不明な、あるいは曖昧な言葉で濁しながら、あたかも事実であるかのように主観的な意見を述べる。明瞭な断定文で話せば、嘲笑の的になる傾向があるからだ。ハリス副大統領とのテレビ討論で、移民が猫や犬を食べていると断言したときがそうだった。
あらぬうわさを流布し、秘密の情報を知っているかのような口ぶりで話すことは多い。選挙不正や外国の指導者、新型コロナウイルスの起源といった話題がそうだ。2020年の選挙が盗まれたと本当に信じているのかと、ローガン氏が詰め寄った際、トランプ氏はまず意味不明の言葉を連ねた揚げ句、選挙不正は理論上はあり得るとの主張に落ち着いた。ローガン氏はインタビューを終えて、トランプ氏への支持を表明した。
普通ではあり得ないトランプ氏の主張は、その曖昧さや正当化できない要素にもかかわらず、驚異的に断固とした口調によってまかり通った。ポスト真実社会に入ったと結論づけたい気持ちも無理はない。実際は真実に固執する社会にわれわれは生きていながら、物事の深い説明や異なる視点のありがたみが失われてしまった。同時にわれわれは、話し手の確信の強さに説得されてしまうのだ。
オハイオ州立大学のアンガス・フレッチャー教授(英語学)は、一方の意見だけをうのみにする人は、自分の知識に自信を持っていると指摘する。そして別の視点を知らされた途端、自信を失う。「意見の相違は多くの場合、不足している情報を補うだけで解決できる」と神経科学のバックグラウンドがある同教授は述べた。
例えば移民問題は見る角度によって異なる話になり得る。住む場所を失った難民や、英語を理解できない生徒に苦労する教師、受け入れに努力する地元の住民それぞれで考え方は異なる。「一つの話に多様な側面がある」とフレッチャー教授。「唯一の正解が存在する数学と正反対だ」と述べた。
現実をさまざまな視点から想像するのは、時間がかかる作業だ。新聞記事を最後まで読むとか、本を完読するといった具合に。「そうしたスキルが失われつつある」背景には、ソーシャルメディアや短い動画、長時間で一方的な視点に基づくポッドキャストでニュースを知る習慣があるという。
人類学のヒントン教授はいずれトランプ氏がホワイトハウスを去れば、MAGAムーブメントも廃れると予想する。聴衆を説得し楽しませる能力において、同氏に勝る人物はいないからだ。一方で多様な視点で世界を見つめる能力が復活しても、米国を再び一つにまとめられないかもしれない。しかし少なくとも個人崇拝カルトからわれわれを解き放ち、お互いを理解する一歩を踏み出すことは可能になる。
(F.D.フラム氏はブルームバーグ・オピニオンのコラムニストです。このコラムの内容は必ずしもブルームバーグ・エル・ピー編集部の意見を反映するものではありません)
原題:Why Trump, a Liar, Seems Honest to His Supporters: F.D. Flam(抜粋)
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