唐鎌大輔 みずほ銀行 チーフマーケット・エコノミスト

コラム:「家計の円売り」に変調か、英国事例から考えるNISAの今後=唐鎌大輔氏

 年初から円安の一因として注目されてきた「家計の円売り」に変調が見られ始めている。円相場の中長期見通しにかかわる論点ゆえ、現状を整理しておきたい。唐鎌大輔氏のコラム。写真は都内で2020年撮影(2024年 ロイター/Issei Kato)

[東京 28日] – 年初から円安の一因として注目されてきた「家計の円売り」に変調が見られ始めている。円相場の中長期見通しにかかわる論点ゆえ、現状を整理しておきたい。

<「家計の円売り」は13カ月ぶりの低水準>

「家計の円売り」の代理変数として注目されてきた投資信託等委託会社(以下投信)経由の対外証券投資は11月発表分ではプラス3930億円と昨年9月以来、約13カ月ぶりの小さな買い越し額にとどまっている。商品別に見ると株式・投資ファンド持分がプラス2717億円、中長期債がプラス863億円、短期債がプラス350億円といずれも買い越しを確保しつつ、新NISA(少額投資非課税制度)稼働後としては極めて小規模な水準にとどまった。この理由は定かではないが、10月はトランプ氏勝利の期待が先行する中、米9月雇用統計などの劇的に弱い結果にもかからず、米金利上昇・ドル高・株高というトリプル高の傾向が強まっていた。かかる状況下、(家計と関連する)投信を含めて米国債を手放す(損切りする)動きが先行したという観測は根強い。

中長期債に限って言えば、連邦準備理事会(FRB)の利下げ局面入りが話題になった8─9月で4000億円前後と歴史的に見ても大きな買い越しが続いていた。その損切りが先行したとの解説は確かに説得力があるものであり、むしろ売り越しではなく買い越しが維持されたことについて評価すべきかもしれない。

<全体では過去最大の売り越し>

外国債券の売り越しは10月のテーマでもあった。10月の対外証券投資全体で見るとマイナス6兆4987億円で、これは過去最大の売り越しとなっている。やはり中長期債がマイナス4兆4881億円と過去最大の売り越しとなったことが大きい。しかし、8月にはプラス7兆3370億円と過去最大の買い越しだったこととセットで評価すべきだろう。上述した「8月に買って10月に損切りした」というストーリーはやはり相応に説得力がある。

一方、対内証券投資に目をやればプラス6兆5934億円の買い越しだったので対外・対内証券投資のネット合計ではプラス13兆921億円(6兆4987億円+6兆5934億円)の資金流入超となる。これも過去最大だ。

しかし、為替市場で実際に起きたことは150円台定着に象徴されるドル/円相場の急伸であった。対内・対外証券投資は為替ヘッジ付きフローのボリュームも相応に大きいことからネットの資本流入額と相場つきの間に安定した関係を見出すのは難しい。特に、現状では対内証券投資の多くが株式・投資ファンド持分であるため、その部分は為替ヘッジ付きフローである公算は大きい。

<「家計の円売り」は腰折れたのか>

そのような中で投信の動向が注目されてきた背景には、新NISA稼働に伴う「家計の円売り」の多くには為替ヘッジが付いておらず、アウトライトの巨大な円売り主体となっている疑いが指摘されてきた。

実際、そのフローが2024年上半期の円安局面に寄与してきた疑いは大きい。9月、10月と失速したとはいえ年初10カ月間における投信の買い越し額はプラス10兆1045億円に達している。残り2カ月間の買い越しペースが読めないとして、既に昨年実績(プラス4.5兆円)の倍以上の円売りが投信から出ている事実を円安相場と結びつけないわけにはいかないだろう。だからこそ「家計の円売り」がこのまま萎んでいってしまうのかは注目に値する論点と言える。

11月以降、金利差に応じた投機的な円売りがかさみ、ダウ平均株価なども史上最高値を模索する地合いが続いたことを考えると、恐らく家計部門による外貨建て資産への投資意欲は復調に至ると筆者は考えるが、8月の経験などを脳裏に焼き付けつつ「高いうちに売る」といった短期的には賢明にも見える決断が優先される可能性はある。そうなると、このまま投信経由の売買動向が売り越しに転じるリスクなども視野に入れたいところではある。それ自体、円安抑制に寄与する潮目の変化であり、実質所得環境の悪化に応じて成長が抑制されている近年の日本にとってはプラスの話と言える。一方で、資産運用立国という観点からはつまずきと評価する向きも出てくるだろう。

<英国と日本の悩みは似て非なるもの>

なお、新NISAの原形「ISA」を抱える英国でも英国株が敬遠され、米国株など国外資産への資本逃避が起きているという。日本と類似した状況と言える。結局、「貯蓄から投資」は自国経済の成長とセットで完結させなければ、資本逃避を招くのである。

この点、今年3月、当時の英スナク政権(保守党)は状況を打開する観点からISA改革案の一環として、現行の年間2万ポンドの非課税枠に5000ポンドを上乗せし、その上乗せ分は英国企業に限定するという案(以下スナク案)を提示していた。だが、今年7月の総選挙を経て誕生したスターマー政権(労働党)は、特定資産への誘導はリスク分散の観点から支持できないと難色を示しており、実現が危ぶまれているという。

結論から言えば、スターマー政権の主張は正論である。特定資産に配慮するような政策誘導は理論的に健全ではない。筆者も本コラムで今年5月、新NISAを通じた「家計の円売り」がはやし立てられる中、国内優先枠を設けてはどうかという案を提示したが、同じ観点から不適切であるという声は相応に見られた。

だが同時に、「検討に値するのでは」という声も同じくらい頂戴した。そうした賛意の声が見られたのは、英国ISAと新NISAの抱えている資本逃避に絡む悩みは「似て非なるもの」だからだと筆者は考えている。

英国のISAに国内優先枠の議論が出ている背景には「選んでもらえない英国株に手心を加える」という意図が見え隠れする。英国では年金改革の一環として、資産運用先を国内に誘導させるような案も議論されており、政府介入により国内株価を下支えることを半ば隠していない。「国内株価の低迷」を打破するために年金や家計のニューマネーを無理やり向かわせる試みは不健全である上、恐らく持続可能性もない。

<日本の問題意識はあくまで通貨安>

これに対し、日本が仮に新NISAにおける国内優先枠を検討するとしたら、その問題意識は「国内株価の低迷」ではなく「円安の制御」になる。これは大きな違いだ。株価下落は確かに抑制したい相場現象だが、制御が難しい自国通貨安の方が間違いなく国民生活に直結する。「悪い円安」というフレーズが注目され、それに対して通貨・金融政策が対抗策を講じてきたのが近年の日本だ。こうした中、資産運用立国という旗印があるとはいえ、円売りをたきつけるような政策が別路線で走っている以上、政策間の整合性について今少し建設的な議論はあっても良いように感じる。

日本で懸念されているのは日本株に資金が向かわないことではなく、自国通貨安が慢性化しているというより大きなテーマである。言い換えれば、「円安の制御」か「国際分散投資の促進」か、いずれの問題意識に重きを置くのかという基本方針の在り方が問われているのだ。後者であれば「特定資産に配慮するような政策誘導は不健全」という理由で国内優先枠の案を拒絶するのが真っ当である。そうではなく「円安の制御」が優先課題であるならば、国際分散投資に水を差してでもやるべきことはある。

紙幅の都合上、どちらが正しいという結論はここでは控える。何よりそれを決めるのは国民に選ばれた政府である。そもそも今年の円安と新NISAにまつわる円売りの因果関係について本当のところは誰にも分からないので、そこまで大袈裟に考えなくても良いという考え方もある。ただ、英国のISAで展開されている改革議論がそのまま日本に当てはめられるわけではないことは重要に思う。

編集:宗えりか

(本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています)

*唐鎌大輔氏は、みずほ銀行のチーフマーケット・エコノミスト。2004年慶應義塾大学経済学部卒業後、日本貿易振興機構(ジェトロ)入構。06年から日本経済研究センター、07年からは欧州委員会経済金融総局(ベルギー)に出向。2008年10月より、みずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)。欧州委員会出向時には、日本人唯一のエコノミストとしてEU経済見通しの作成などに携わった。著書に「欧州リスク:日本化・円化・日銀化」(東洋経済新報社、2014年7月) 、「ECB 欧州中央銀行:組織、戦略から銀行監督まで」(東洋経済新報社、2017年11月)。新聞・TVなどメディア出演多数。