TOPSHOT - A group of male and female coal miners recite 06 September 1968 in Li Se Yuan mine some paragraphs of Mao Zedong "Little Red Book" as they celebrate Mao's "Great Proletarian Cultural Revolution"  (Photo by -/XINHUA/AFP via Getty Images)
TOPSHOT – A group of male and female coal miners recite 06 September 1968 in Li Se Yuan mine some paragraphs of Mao Zedong “Little Red Book” as they celebrate Mao’s “Great Proletarian Cultural Revolution”  (Photo by -/XINHUA/AFP via Getty Images)Photographer: -/AFP

米国の次期大統領ドナルド・トランプ氏や同氏が新設する政府効率化省(DOGE)の共同トップに就くイーロン・マスク氏らは、政府を変える革命家気取りで有頂天だ。

  しかし、彼らは、自分たちの政策に反対するイデオロギー的傾向を持ち非効率的と見なす「ディープステート(闇の政府)」を破壊しようとした最初のリーダーではない。2人は、過去の無謀な攻撃の記録をもっと詳細に見直すことが賢明だろう。

  最も劇的な同様の試みは、ほぼ60年前に中国で起きた。案の定、結果は悲惨だった。毛沢東初代国家主席は誇大妄想を抱く独裁者となり、社会主義労働者の楽園を築く上で官僚が障害になると考えた。

  官僚の不忠を疑った毛氏は、自身の急進的な革命を続ける計画を官僚組織が台無しにするのではないかと恐れた。

  毛氏の解決策は、自ら打ち立てた共産党政権に対する猛烈な攻撃だった。それは後に悪名高い文化大革命(1966-76年)へと発展。主に高校生から成る紅衛兵を動員し、政府機関を襲撃させ、共産党の役人たちを屈辱的な「批闘大会」でつるし上げた。

  多くの国民が命を落とした。石炭産業を監督する官僚は拘束中に死亡。自殺した政府高官もいた。革命運動は一段と暴力的になり、当時の周恩来首相は北京中心部にある厳重に警備された「中南海」に政権幹部らを避難させた。

  しかし、文革が権力奪取の第2段階に入ると、紅衛兵はさまざまな省庁を占拠。中南海に避難していた高官のほとんどは解任され、投獄された閣僚もいた。

  商務相だった姚依林氏は2年間調査を受けた後、農場に送られ、落花生の収穫や梨の木の剪定(せんてい)について学ばされた。まだ運がいい方だろう。

  90年代に首相として経済改革を断行した朱鎔基氏は国家計画委員会のエンジニアだった。「知識が多ければ多いほど反動的」というスローガンが流布し、朱氏の技術的な専門知識は明らかに必要とされていなかった。 

  朱氏は湖北省の国営農場で5年間、農作物の栽培や家畜の世話、共同炊事場での調理に従事した。

真の教訓

  心配なのは、トランプ氏とマスク氏が連邦政府の職員をアイオワ州のトウモロコシ畑に「下放」するかもしれないということではない。

  真の教訓は、最高レベルの傲慢(ごうまん)さや専門家に対する深い疑念、イデオロギーが異なる者に対する偏執狂的な疑いが、よくて非効率、悪ければ混乱を招くということだ。

  文革で実権を握った造反派には、大規模で複雑な組織を運営する専門知識や行政経験が全くなかった。この欠点は、ピート・ヘグセス国防長官候補やトゥルシー・ギャバード国家情報長官候補らトランプ氏が政権中枢に置こうとしている何人かに当てはまる。

  やがて造反派内で対立する派閥同士が統治よりも争いに時間を費やすようになった。政策や日常的な行政にはほとんど関心を示さず、元高官を追い詰め、新たに手に入れた権力を私利私欲のために乱用することにエネルギーを注いだ。

  身内の敵に目を向けるあまり、行政は無知な狂信者たちが仕切る不条理劇に成り下がった。

  当然のことながら、中国経済は崩壊した。67年には工業生産が14.7%急減。大学は閉鎖され、農村に送られた教職員の「思想改造」が行われ、科学技術の研究調査は完全に停止した。

  75年に国務院と各省庁が再編された後も、毛氏は翌年死去するまで、無条件に熱狂的な信奉者を上級職に昇進させた。

  文革の結果、生産性が向上しなかったのは言うまでもない。そして、10年間にわたる内部粛清は官僚制度に深い傷跡を残した。

  農村で長い年月を過ごしたテクノクラート(技術官僚)たちは、それぞれの専門分野における最新の動きを全くつかめなくなった。研修プログラムは停止され、中国共産党の組織部によると、80年当時、管理職の10%しか職務を適切に遂行するために必要な技術的訓練を受けていなかった。

  こうしたダメージを完全に修復するには、さらに10年を要した。十分な研修を積み、経験豊富なテクノクラートを擁する今日知られているような行政国家を中国が築くことができたのは90年代に入ってからだ。

  文革を経てなお中国が立ち直ったという事実は、グローバルなリーダーシップという重荷に苦しむ米国にとって、さしたる慰めにはならないだろう。

  米国は、トランプ氏やマスク氏が思い描いているような強引な革命を生き延びることができるかもしれない。だが、そうした無謀な実験に何年も浪費する余裕が米国にあるかどうかは、また別の問題だ。

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(ミンシン・ペイ氏はブルームバーグ・オピニオンのコラムニストで、米クレアモント・マッケナ大学の行政学教授です。このコラムの内容は必ずしも編集部やブルームバーグ・エル・ピー、オーナーらの意見を反映するものではありません)

原題:Hey, Elon. You Know Who Else Was a Disruptor? Mao: Minxin Pei   (抜粋)