安倍首相は働き方改革関連法案から裁量労働制の対象拡大を可能当する法案を削除することを昨夜決めた。今国会の目玉の法案が野党の要求によって一部修正されることになる。与野党の駆け引きという点では、久しぶりの野党の勝利だろう。分裂、分断、仲間割れ、仲たがいを常とする野党にとっては一致団結することの意味が再確認されたわけだ。これを機に分裂野党が統一に向かえば、瓢箪から駒になる。だが、多分そんなことは起こらないだろう。大局観のない野党は相変わらず旧態依然としている。蟻の一穴で世の中を変えるほどの先見性もないだろう。与党ならびに厚労省の詰めの甘さにも呆れ返るばかりだ。データの瑕疵がいかに重大な問題であるか、認識がないことが問題だ。なにをかいわんや、である。
個人的には働き方に裁量を持ち込むことの意味をもっと議論して欲しいと思っている。裁量とはそもそも何なのか。ググってみれば「自分の意見でとりさばき、処置すること」と出てくる。自由裁量、個人の裁量といったタームがすぐに思い浮かぶ。部長の裁量で決済可能など、企業は決済権限を役職ごとに決めている。要は個人の意志で物事を決めるということだ。裁量労働とは労働者が自分で働き方を決めて良いということである。野党が問題にする労働時間も労働者の意志によって決められる。一般労働者に適用される9時ー5時といった勤務時間にも縛られない。用事があれば午後の2時に職場を離れても問題はない。出勤も理論的には自由である。自宅で勤務しても構わない。職掌をカバーできれば働き方そのものは自分で決められる。
野党が問題にする時間外は本質的には裁量労働制度には馴染まない。とはいえ懸念はある。会社が裁量労働制度を盾に実質的に長時間労働を強制することだ。生産性の向上(コスト削減)が狙いの会社が暗にそうした働き方を強制することが考えられる。だから時間外がどうなっているのか、裁量労働制度の実態把握が重要になる。それはその通りだ。だが、それは裁量労働の制度設計の問題ではない。運用の問題だ。導入企業の運用をどうやって監視するか、議論の本質はそこにある。政府は法案の提出を見送った。再提出までもう一度その点を確認すべきだと思う。世界的に見ても先進国では自分の意志をベースにした働き方改革が進んでいる。労働密度を高めて時間外労働を少なくし、健康や生活を優先する。未来の働き方のあるべき姿は裁量労働だと思う。