記者会見で厳しい表情を見せる神戸製鋼所の川崎博也会長兼社長(6日午後、東京都中央区)

記者会見で厳しい表情を見せる神戸製鋼所の川崎博也会長兼社長(6日午後、東京都中央区)

神戸製鋼所の川崎博也会長兼社長は6日、都内で開いた記者会見で自らの引責辞任を発表した。アルミなど主力製品での品質データ改ざんという不正行為ゆえ続投は難しくなっていた。就任から5年、業績不振の名門を再生する「現場主義の改革派」として社内の期待を集めて成果も出したが、結局は不祥事体質の元凶である閉鎖的な組織風土を思うように改革できず無念の辞任に追い込まれることになった。

「1週間前に報告書の骨子を聞いた。辞任は誰にも相談していない。神戸製鋼が変わると信じて辞任を決断した」――。川崎社長は吹っ切れた表情で引責辞任についてこう語った。それも無理はない。6日、2017年10月から進めてきた外部調査委員会の調査が完了したが、新たな不正が発覚したからだ。他のグループ6社や部門でも不正があったことが分かり不正品の出荷先は従来より増えて合計600社超になった。

6日に発表した再発防止策の目玉は会長職の廃止で、従来より増やす独立社外取締役の中から取締役会議長を選任。本来なら在任5年の川崎社長は今年春から会長に専念して次期社長を補佐するはずだったが、それもできなくなった。1999年に発覚した総会屋事件以降、ばい煙データの改ざん事件(2006年)や政治資金規正法違反(09年)など不祥事が続いてきた。突然のトップ交代で経営が迷走する事態が繰り返されかねない。

川崎社長への社内の期待は当初から高かった。12年10月に新日鉄住金が誕生してから4カ月後、13年2月1日に川崎氏の社長昇格が発表された。当時の神鋼は主力事業が苦戦して13年3月期は200億円を超える最終赤字になる見通しだった。川崎氏は閉塞感が漂う名門に新風を吹き込む存在として社内で喝采をもって迎えられた。

その経歴が異色だった。旧高炉5社時代から、鉄鋼大手の社長は営業畑や人事・総務畑が保守本流で、他部門から抜てきされることはほとんどない。川崎氏は80年の入社以来、主力の加古川製鉄所(兵庫県加古川市)で30年近く生産技術者として汗を流した。誠実な人柄もあり、現場の信頼は厚かった。それゆえ、神戸製鉄所(神戸市)の石炭火力発電所建設という社運を懸けた1000億円プロジェクトでも責任者を任された。

神鋼でも長く保守本流は「奥の院」とされた総務・秘書畑だが、99年の総会屋事件で次期社長とみられた役員が逮捕され、その後は企画畑の水越浩士氏と、国際派の犬伏泰夫氏らトップの系譜が変わり川崎氏に重責が巡ってきた。本人は気負いなく自らの信条を抱負として語った。「先頭に立つもの率先して行動し現場をもり立て事業の全体像を示すべし」だった。

川崎社長は強力なリーダーシップを発揮した。13年5月、神戸大震災の「復興のシンボル」とされた神戸製鉄所第3高炉の休止を決断した。社内でも「(現場の信頼がある)川崎社長でなければできなかった」との声が多かった。鉄鋼を軸に多角化経営を進化させ、巨大な新日鉄住金に対峙する戦略だった。

鋼材市況の改善なども追い風となり、15年3月期には経常利益が1000億円を超え、中期経営計画目標を1年前倒しで達成。当時は「20年をメドに経常利益を2000億円に」という強気の発言も飛び出していた。

だが、すぐに舞台は暗転した。15年から中国景気の減速などによりアジアの鋼材市況が大幅に下落し、建機の需要も急激に落ち込んだ。16年3月期は最終赤字に転落。結局は「風頼みの経営」の限界が再び露呈した。

川崎社長は16年4月、20年度を最終とする中期計画を発表した。「素材系、機械系、電力の3本柱で成長を目指す」というのが基本方針だ。ただ、中計初年度の17年3月期も最終赤字となり、その後は一連の品質データの不正事件で経営が混乱する事態に陥った。

川崎社長にとって痛恨だったのは、17年5月には神鋼の企業理念として「3つの約束」を発表し、直接社員と語り合い自由闊達な風土で激戦の市場を勝ち抜く体制を整える矢先に不正が発覚したことだ。こうした風土改革こそ、社長として最後の大仕事だった。

不祥事での対応が後手に回ったのは否めない。3連休の中日だった17年10月8日から会見を繰り返したが、「ないはず」だった法令違反、「不正を知らないはず」だった執行役員の存在なども次々に露呈。「調査でリーダーシップを発揮することが社長の責任」と言い切った川崎氏の面目は丸つぶれになった。

川崎社長は就任当初から、社長室に「カエルの置物」を飾っていた。それは「会社を変える」という強い意気込みだった。最後は会長職を廃止するなど抜本的なガバナンス改革を置き土産にし社長室を去ることになる。

後任社長などの人事については近日開催される取締役会で決定し4月1日付で新体制に移行する。後任の選定では社外取締役の意見も踏まえて社内外の人材を対象に「いかにリーダーシップをもって確実に対策を実施できるかの能力で総合的に決めたい」と述べた。

「変わるきっかけを作ったのは私かもしれないが、変わるのはこれからだ」。川崎社長の言葉が変われない社内でどう響くのか。それが名門再建の行方を左右する。

(企業報道部 大西智也、井上みなみ、鈴木泰介)