こういうニュースを見ると、日本の官僚組織は本当にどうなっているのだろうと、気が滅入ってくる。防衛省の南スーダン派遣部隊が書き残した日報のことである。1年前に散々国会で揉めたあげく、当時の稲田防衛大臣が「日報は存在していない」と啖呵を切ったあの日報である。その日報が発見されたという。それも稲田大臣がまだ防衛大臣を務めたていた1年前に見つかっていた。なんという不始末。要するに「見つかった」という報告を幹部に上げていなかったというのである。何をか言わんやだ。厚労省は裁量労働制度に関する調査データに間違いがあったと謝罪した。国有財産の売却に関する財務省理財局の決裁文書書き換え問題は依然として燻っている。国土交通省も決裁文書を書き換えていたことが明らかになった。官僚批判をする以前に「どうしたの、役人さん」と言いたくなる。
官僚の不始末をいちいち数えているわけではない。気がついたものを書き記しているだけだ。厚労省では年金情報の外部委託先が、中国企業に関連データを漏洩していたしという事実が発覚した。文科省は教育現場への介入疑惑を招いている。このところ役人にまつわる悪いニュースが後を絶たない。こうした事態を受けてメディアは民主主義の根幹を揺るがす大問題だと息巻き、評論家は政治のコントロールが効いていないと批判する。野党はこれ幸いに内閣退陣の声をはりあげている。中には官邸が人事権を握っているせいで役人はやる気をなくしていると、まことしやかに不始末を起こした役人を擁護するかのような発言も飛び交っている。野党は本来政策で内閣を倒すべきでだし、メディアや官僚はもっと真剣にことの本質を突くべきだ。
日報問題の本質は、PKO部隊の派遣先である南スーダンで政府軍と反政府軍が衝突、一時的に法律で部隊派遣が禁止されている戦闘状態になったということだ。その状況を現地に派遣された隊員が日報にそのまま記した。事実を事実として書くと法律に抵触する。そこで防衛省はこの日報を「なかった」ことした。これが日報問題の根幹である。日報を隠しても戦闘状態がなくなるわけではない。PKOいえども自衛隊には絶えずこうした危険が付きまとう。国会は法律の構成要件をめぐってもう一度議論すべきだった。しかし、この1年、展開されたのは責任問題だけである。決裁文書の書き換え問題も、延々と責任問題を追求している。日報隠しと書き換えに共通するのは、臭いものに蓋をする政府や役人の旧来からの因習だ。人事権や文書管理の問題ではない。公僕の質の問題だ。メディアはそこをもっと掘り起こすべきだ。