森友学園や防衛省の日報問題をめぐる調査資料が昨日国会に提出された。毎日新聞によると提出された資料は全部で217件、A4判で約960ページに上った。また、あわせて提出された改ざん前の決裁文書は計14文書で約3000ページに上る。大阪地検から提供を受けたコピーなどをもとに、財務省が改ざん前の状態を復元した。膨大な量である。これにかかった時間はともかくとして、この資料を国会や国会議員、マスコミに配ったのだろうから、全体の紙の消費量は莫大なものだろう。貧乏性のせいか本質と関係ないところが気になる。メディアは当然いろいろな関係部署がコピーする。なんと「もったいない」ことか。誰かにこの事件の全体像を公平・公正、中立、客観的に解説してもらいたいのだが、そんなことをできる人は一人もいないだろう。

森友問題の本質は何か。異常なキャラクターの国有地買受人と総理大臣に忖度しながら正当に売買を成立させようとした行政マンとの間に、業務執行に絡んだ不正がありや否やということである。ここに、こちらもやや常軌を逸した総理夫人が絡んでいる。今朝の朝刊で産経新聞は「死んだら地獄に行く」といった具体例を示しながら、提出された文書から浮かび上がる籠池夫妻の異常な行動を取り上げている。一方、毎日新聞は関係資料の廃棄を命じた理財局の異常性をえぐり出している。ことほど左様に、同じ資料も元にした記事の取り上げ方は異なっている。森友問題は見方によっては象と盲人の例えの如く、まるで違ったものに見えてくる。一般の人は大体一紙しか新聞に目を通さない。となれば森友問題が有権者の間に整合性のともなった一つの事実として像を結ぶことは、ほとんどないと考えたほうがいいだろう。

個人的には理財局の行動に疑問を感じている。忖度が行動の一つ一つに影響していたとしても、あれだけの資料を廃棄し国会から求められた説明や資料提出を丸々拒否する行動原理に、どのような理屈があるのだろうか。ルールに則って正当に通常の業務をこなしている以上、正々堂々と国会で説明すべきだった。推測するに籠家氏への個人情報流出への配慮、総理並びに総理夫人への忖度、理財局内部の説明責任への整合性など様々な要因があるにしても、資料の廃棄を命じ説明を拒むほどの理由はこれまでのところ見当たらない。あるとすれば野党の執拗で重箱の隅を突くような、世論に訴えようとする事大主義的な追求である。仮にそうだとしても、それに屈したとすれば公僕としての“矜持”はどこに行ってしまったのだろうか。