米朝首脳会談が終わって日本人拉致問題の解決に向けた期待感が一気に高まってきた。産経新聞によると昨日韓国で開かれた日米韓の外相会談でポンペオ長官は、「大統領は拉致被害者の帰国について非常に明確に発言し、金氏もはっきり返事をした」と明言した。我々としては返事の中身が気になるところだが、それについて同新聞は「返事の内容には言及しなかった」とにべもない。いつもそうだ。国際政治の記事では最も知りたいことに「言及しない」ケースが多い。本当のことを言うといろいろと差し障りがあるから仕方がないのだろうが、歯がゆいことこの上もない。トランプ大統領という第三者にお願いして金正恩委員長の本心を探ってもらっているわけだから、日本としてはあまり強いことも言えなくなる。

拉致問題についてはこのところ、個人的に隔靴掻痒感が強い。原因ははっきりしている。北朝鮮と直接交渉していないからだ。関係のない第三者を通して、安倍政権の最重要課題である拉致問題の突破口を切り開こうとしている。間接対話ではどうしても痒いところに手が届かない。もちろん、トランプ大統領の就任直後に世界の指導者に先駆けて同氏に接触、信頼関係を築いてきた安倍首相の努力があったからこそ、米朝首脳会談で拉致問題が取り上げられたという事実は評価している。安倍首相をはじめ関係者の努力がなければトランプ大統領の発言もなかった。そうした努力にイチャモンをつけるつもりはない。だが、もっと早い段階から国際政治の舞台で正々堂々と拉致問題の非人道性を声高に主張していれば、結果はどうなったのだろう。死んだ子の年を数えるような思いがいまごろになってこみ上げる。

拉致問題について日本はこれまでの6カ国協議の場など国際政治の表舞台で、なんとなく遠慮気味だったような印象を個人的にはもっている。北朝鮮の核廃絶、非核化という国際的な政治課題を優先するあまりに、日本人の生命や安全を守るという国益を劣後させてきたのではないか。拉致問題を持ち出せば6カ国の足並みが乱れるといった懸念に押されて、国家として最も重要な主権の行使を怠ってきたのではないか、そんな気がひょっとするのだ。例えば中国。尖閣や国内の人権問題など触れてほしくない問題に直面すると、「それは中国の核心に触れる問題」といって己の正当性を悪びれることなく主張する。日本も中国の真似をしろというつもりはないが、国民の生命や安全を守るのは政治の根幹にかかわる問題である。痒いところに手が届くようにするために政治に何が必要か、そろそろ真剣に考える必要があるのではないか。