日本ボクシング連盟を相手にした告発問題が波紋を広げている。連日テレビの格好の餌食となっているが、こうした問題の裏にはすべからくある種の精神的な“弱さ”が付きまとっているような気がする。日大の田中体制もしかり、女子レスリングの監督問題もしかり、日本相撲協会にまつわる横綱の暴力問題も、横綱個人も含め国技である日本相撲協会の精神的な基盤の弱さが原因としてあるような気がしてならない。ボクシング連盟の山根会長についてはきょう毎日新聞が、「会長、組長と交友、19年前、連盟理事時代」といった新しい事実も報道されている。これが事実だとすれば山根会長の独裁的な権力の行使は、暴力団の組員と同じような内なる“弱さ”を覆い隠すための隠れ蓑だろう。
内なる弱さを対外的に隠蔽するためには、外見の横暴さや言葉の激しさを必要とする。それとともに周囲に圧倒的に従順なイエスマン(あるいはイエスウーマンを含め)がいないと成り立たない。この2つが揃って弱者の独裁的な権力が成立する。ボクシング連盟も例外ではないだろう。山根会長を支えるイエスマンが副会長以下連盟の理事に名を連ねているはずだ。日大の理事会しかり、女子レスリング界しかり、日本相撲協会しかりだろう。ボクシング連盟は報道されている事実を見る限り、山根会長の強権にそもそもの原因があるとはいえ、副会長以下、会長の意向しか忖度しないイエスマンも同列に諸悪の根源である。せめてもの救いは連盟員による内部告発が不祥事発覚の発端になっていること。遅きに失したとはいえ、自助努力による自浄機能が働いている。
今回発覚したボクシング連盟の問題は、日本中に五万とある組織がもって他山の石とすべきものであり、どの組織にも付きまとっている危険性だろう。政治の世界しかり、官僚、企業、業界団体、スポーツの世界から教育現場に至るまで、あらゆる組織に付きまとっているリスクである。リスクを避けるためにはチェック機能を強化するしかない。企業であれば監査役、人事委員会など権力と距離を置く組織の強化がチェック機能を強くする。スポーツの世界で発覚したこれまでの不祥事の数々を見る限り、チェック機能が働いていないように見える。文部科学省、スポーツ庁などスポーツ関連の上部機関のチェック体制は十分に機能しているのだろうか。補助金(税金)を投入するのは構わないが、チェック機能がないとすればそれはそれで大きな問題だ。いずれにしても身の回りのどこにでもある“弱いが故の強がり”は要注意だ。