多数の国内メディアに取り上げられているが、300社を超える全米のメディアが昨日、トランプ大統領に抗議する社説を紙面やウェブページに一斉に掲載した。トランプ大統領が多くのメディアを「フェイクニュース」と非難し、講演やツイッターなどでこうしたメディアを「国民の敵」(NHK)と呼んでいることに抗議するための活動のようだ。日本流にいえば朝日新聞や読売新聞、北海道新聞、河北新聞、中国新聞など全国紙や地方紙が一斉に安倍首相批判を社説で取り上げるようなものだ。この記事を読みながらなんとなく“違和感”を覚えた。メディアが権力を批判するのは当然のことが、それを足並みを揃えて一斉に展開するとなればこれは明らかに「政治活動」になる。違和感の源泉はここにある。
新聞が共同で一斉に活動することが許されるのは報道の自由が権力によって侵されようとしている時だけである。個人的にはそう考えている。全米メディアが行った一斉行動は「報道の自由」を守るための行動に該当するのだろうか。ここに個人的には大いなる疑問を感じている。だいたい大統領がフェイクニュースと腹を立てている記事が連日流れているということ自体、報道の自由が守られている証ではないだろうか。フェイクニュースであるか否かは置くとして、権力側の“癇に触る”記事がなんの障害もなく流れている状態は「報道の自由」を裏書きしているようなものだ。中国や北朝鮮ではこんなに自由に権力批判はできない。だから今回のメディアによる一斉報道は報道の自由を守るための活動には該当しない。明らかにこれは「政治活動」だと個人的には考えている。
メディアが政治活動を始めれば、それは報道とは呼ばない。政党の機関紙ではないが教宣活動とかオルグに近いものになってします。そうした活動を全米のメディアが一斉におこなった。これを受けて日本の大多数のメディアもこの活動を紹介している。残念なのはそこには批判めいた記事がないことだ。そのことが本質を見抜けない日本のメディアのレベルの低さを証明している。報道には常にバイアスがかかる。そうである以上、メディアが流す情報はすべからくフェイク性を帯びている。大統領がフェイクと言ったからといって、それで多くのメディアが一斉に蜂起するようなことはやるべきではない。そんなことをすれば逆大本営発表しになる。それはメディアの取るべき道ではない。メディアは連帯よりは孤独の戦いを選ぶべきだ。多数を頼みにした途端、メディアはメディアではなくなる。