久しぶりにうんざりすることを書く気になった。日本ボクシング連盟の山根明前会長の問題の時には、あまりのひどさに書く気にもならなかった。今回は最近上げ潮気味の女子体操界をめぐる問題とあって、時々朝のテレビで情報番組を見ている。率直にいってうんざりする。何が?パワハラに対する体操協会、とりわけ女子の体操に強い影響力をもっている塚原夫妻の認識があまりにも時代遅れということだ。それにもう一つ、テレビ業界のここぞとばかりの報道合戦も目に余る。本当にうんざりする。情報番組の質は相変わらずだ。何の進歩もない。問題の本質に切り込む覚悟もないまま、先頭に立って大騒ぎしている。世も末だ。2020年の東京オリ・パラは本当に大丈夫か。

 

宮川選手が記者会見で訴えた体操協会、とりわけ塚原夫妻のパワハラについて詳しく知っているわけではない。そんなことでささやかでにとしても、論評する資格があるのかと問われればそれまでだ。ことの経緯を詳しく知ろうとも思わない。ただ、個人的にはパワハラとかセクハラは被害者の個人的な認識の問題であり、「そう感じた」と言われればそれに関連した上司や人事権限の所有者は「アウト」だと認識している。塚原夫妻も体操協会もそこの認識が甘い。ことの是非とか正当性、言い方の問題ではない。もっと言えば事実か真実の探求さえ許されない。言われた途端にすべての権力は吹っ飛ぶ。それほどの爆発力をもった目下のものに与えられた逆権力なのである。だから普段から注意しなければならない。塚原夫妻は影響力の大きさに酔いしれて、指導者としての肝心なポイントに気がついていなかった。それだけのことである。謝って身を引けば本人としてはすべてが収まる。

 

問題はパワハラやセクハラが本当にあったかどうかだ。これを解明するのは至難の技だ。一昔前、痴漢をした青年が無実の罪を着せられたことがある。この件はのちに周防監督が「それでも私はやっていない」というタイトルで映画化した。無実の罪を証明するのにどれだけの時間と金がかかったことか。テレビ局の報道番組を見ていて思うのは、時間と金をかけて真実を究明しようという“覚悟”がまったく見られないことだ。記者会見や新聞報道などを適当に選び抜き、その意味合いをわけ知り顔で解説するというリスクの伴わないデスクワークに終始している。コメンテーターや解説者も何のためらいもなく、一見中立風に見える手前かってなコメントを繰り返す。個人的にはそのこと自体が世論の間違った形成に一役買っているような気がする。かくしてパワハラやセクハラが風評被害のように世の中に広がっていく。嘆かわしいことだ。