日産の前会長であるカルロス・ゴーン容疑者は8日、東京地裁で行われた勾留理由開示の法廷で自らの無実を主張した。その際の供述の全文が報道されているが、この中で個人的に気になることが一つある。それは同容疑者がなぜかくも高額な報酬を受け取ろうとしたかの説明だ。時事通信によると以下のように述べている。「私は日産のCEOを務めている間、フォード、ゼネラルモーターズなど四つの大手自動車メーカーから招聘(しょうへい)の申し出を受けました。フォードはビル・フォードから、ゼネラルモーターズは、オバマ政権当時、自動車の帝王と呼ばれたスティーブ・ラトナーから申し出を受けました。彼らは極めて高待遇の条件を申し出てくれましたが、私たちの日産は会社再建の真っただ中であり、私は道義上、日産を見放すわけにいきませんでした」。
要するにヘッドハントを受けたわけだ。その際に提示された報酬額を「私の市場価値」と判断し、「提示された報酬金額について記録をつけていくことにしました」という経緯を説明している。簡単に言えばヘッドハントによって、20億円を超える報酬が自分の市場価値であることに気がつき、それを日産で実行に移そうとしたということである。ところが日本では経営者の報酬金額について、1億円を超える場合は有価証券報告書での開示が必要になった。「私にとって非常に大事な日本の象徴的な会社」である日産の従業員への士気に配慮、10億円を超える部分については退職後に受け取ることにし、有報への記載を回避したということだ。ここには報酬にまつわる経営者の“病理”が見え隠れする。
米国は株主の権利が非常に強い企業社会である。株主の要求である企業価値の極大化に向けて、能力のある経営者を高額報酬で招く招致合戦が行われている。結果的に経営者の報酬はうなぎ上りになる。ただ、結果を出せなければ経営者は簡単に首になる。高額報酬にはリスクが伴うのである。これに対して日本は、良いか悪かは別にして経営者の立場は安定している。その反面報酬は米国などに比べるとかなり低い。ゴーン容疑者は日産の再建という勲章を盾に、低リスクの日本で超高額報酬を実現しようとしたのである。問われているのはこれが犯罪に該当するかどうかだ。個人的には日産におけるゴーン容疑者の振る舞いは「許せない」と考えている。それが法律に照らして有罪か無罪か、よく分からない。ただゴーン容疑者に対する心象風景は明らかに有罪だ。
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