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EU首脳会議の会場に着いた英国のメイ首相。報道陣に「(離脱を決めた)国民投票から3年近くたっている。今こそ、議会が決める時だ」と話した=21日、ブリュッセル、津阪直樹撮影

 29日に迫っていた英国の欧州連合(EU)からの離脱は、少なくとも4月12日までは延期された。経済や市民生活に混乱をもたらしかねない「合意なき離脱」か、離脱方針の抜本的見直しか――。EU各国が英国に厳しい選択を迫った背景には、EU内で極限まで高まった英国へのいらだちがあった。

 ブリュッセルで21~22日に開かれたEU首脳会議は、英国のEU離脱問題で一色になった。

 メイ英首相は会議直前の20日、離脱時期を6月末まで3カ月、延期することを各国に求めた。英・EU間で昨年11月に合意した離脱協定案は、英議会の承認が得られていない。このままでは3月29日、「合意なき離脱」となる危険性が高まっていた。

 EUのトゥスク首脳会議常任議長(大統領に相当)は、EU加盟国の首脳にあてた20日付の書簡で、29日までに英議会で協定案が可決されることを条件に、「短期延長は可能だと思う」との見解を表明した。首脳会議では、3カ月の延期を軸に議論がされる方向で固まりつつあった。

 会議初日の21日午後、ブリュッセルの会場に集まった27カ国の首脳の前で、メイ氏は6月末まで延期する理由を説明。メイ氏の退席後、会議は午後4時ごろから始まった。

 当初、メイ氏が求めた内容についてだけ議論し、午後7時には記者会見を開く予定だった。だが、EU関係者によると、「英議会が協定案を承認する可能性はほとんどない。その場合どうするか考えるべきだ」という意見が出され、会議の主題が大きく変わった。

 アイルランドのバラッカー首相によると、延期する期間の長さや条件を巡り、議論は「行ったり来たりした」という。対英で最強硬派のフランスのマクロン大統領は猶予を与えず、29日に「合意なき離脱」にするべきだと訴えたようだ。

 それでも、EU関係者によると、最終的には全ての首脳が短い延期期間で、英国に決断を迫ることで一致。もし、英議会が協定案を承認できなければ、長期の延期をして抜本的に離脱方針を見直すか、合意なき離脱か4月12日までに意思表示するよう、「最後通告」を突きつけるという結論に達した。会議が終わったのは、日付が変わる直前だった。

 直後に記者会見したEUの行政トップのユンケル欧州委員長は「我々は欧州の他の課題にも目を向けなければならない。英の離脱の結末だけを待っているわけにはいかない」と、英へのいらだちを露骨に示した。

 英国が長期の延期を選べば、EUにしばらく残ることになり、5月23~26日にある欧州議会選に参加するかどうかの決断も英国は迫られる。参加する場合、4月12日が国内での公報の期限だった。

 マクロン氏は会議後、「(新しい期限の)4月12日を選んだのは、この日をまたげば、英国が欧州議会選に出られなくなるためだ。これがこの日の大きな収穫だ。これ以上(英国離脱の議論を続けることで)欧州統合のための課題を人質に取るわけにはいかない」といらだちを隠さなかった。

 自身が主導するユーロ圏の共通予算や移民対策といった課題は停滞気味だ。一刻も早く「英国問題」から「EU改革」に集中し、欧州議会選までに成果を出したいとの思惑があった。

 これまでの離脱問題の経緯を振り返れば、EU側が英国の対応にいらだち、もうこの問題をこれ以上、引っ張りたくないと思うのはもっともだ。

 離脱を決めた2016年6月の国民投票後、EUの再三の要請にもかかわらず、英国が交渉を開始するための通知を正式にEUにしたのは、17年3月だった。英国内での方針が決まらなかったからだ。

 同年6月には、「EUとの交渉の立場を強くするため」(メイ氏)として、解散総選挙を実施。交渉の開始が遅れただけでなく、与党保守党が単独過半数の議席を失い、英内政は不安定になった。

 優先的に交渉すると両者で合意した分野についても、英側は具体的な方針をなかなか示せなかった。北アイルランドの国境管理問題でもこじれ、EU側が18年10月としていた離脱協定案の締結は1カ月、延期された。

 その協定案も、英議会が今年1月、3月と連続で大差で否決された。協定案も「合意なき離脱」も受け入れないが、代替案は出さない――。そんな英国の姿勢に、ついにEUの堪忍袋の緒が切れたのが、今回の首脳会議だった。(ブリュッセル=津阪直樹、疋田多揚)