1989年6月2日、中国・北京の天安門広場で活動する周舵氏(左端)。右隣は劉暁波氏。(周舵氏提供・時事)

 【北京時事】中国で民主化運動が武力弾圧された天安門事件が起きてから4日で30年を迎える。ノーベル平和賞を受賞した劉暁波氏(2017年死去)と共に天安門広場で活動した周舵氏(72)は時事通信に手記を寄せ、「(事件は)中国共産党の根本的な転換点だった。共産党員の理想が打ち砕かれた」と指摘した。周氏は「われわれ改革派が死なない限り、改革も死ぬことはない」と訴え、迫害にさらされながら今も中国国内で活動を続けている。

 1989年の事件当時、民間の電子機器企業幹部だった周氏は、劉氏と親しい間柄だった。周、劉両氏と台湾出身のミュージシャン、候徳健氏ら4人は天安門広場で学生の側に立ちハンストを行い、「天安門の四君子」と呼ばれた。民主化要求の拡大に対し共産党指導部は軍を動員し、同年6月3日夜から4日未明にかけ、広場に向かう部隊が発砲するなどして、多数の人々が死傷した。

 4日未明、周、候両氏は天安門広場を包囲していた軍と交渉。軍は広場から学生らが撤収するために通路を空けることを約束した。周氏は手記で「われわれの力で数千人の学生や市民を無事に広場から連れ出せるとは、私自身も含めて誰も予想していなかった。広場は流血寸前だったが、まさに奇跡だった」とつづった。

北京の天安門広場付近で軍と学生が衝突した際に負傷し、運ばれる女性=1989年6月4日(AFP時事)

 事件から約1カ月後に周氏は拘束され、90年5月に釈放。90年代前半に米国でハーバード大学客員研究員として約1年過ごした後、帰国した。劉氏の亡き後、四君子のうち今も国内で政治改革を目指して言論活動を行っているのは周氏だけだ。

 周氏は「(事件で)私の人生は全く変わった」と心中を明かす。当局から監視を受け、行動を制約される人生を歩んできたが、天安門広場にいた数千人が殺害される事態を回避したことは大きな誇りだ。天安門事件に関わったことを「当然、全く後悔していない」と断言した。

 事件後、中国は驚異的な経済発展を実現したが、周氏は指導者や社会を批判的に見ている。手記で「公務員による権力の乱用と腐敗がすさまじい勢いで拡大した」と私利私欲に走る公職者を批判。「この種の『社会崩壊』の様相は、過去の王朝末期でも繰り返されてきたが、一度の重大事件がこれほどの深刻な結果をもたらした前例はほとんどない」と嘆いた。