中国の北京で民主化を求める学生らの運動が武力で鎮圧され、大勢の死傷者が出た天安門事件から4日で30年になります。事件の見直しや責任を問う声は封じ込められたまま言論統制は一層強化され、政府への批判も徹底して抑え込まれています。

天安門事件は30年前の1989年6月4日、民主化を求めて北京の天安門広場やその周辺に集まっていた学生や市民に対して軍が発砲するなどして鎮圧し、大勢の死傷者が出たものです。

中国政府は319人が死亡したと発表しましたが、犠牲者の数ははるかに多いという指摘もあり、犠牲者の遺族は事件の真相究明や責任の追及を求め続けています。

中国政府は、一部の学生や市民による暴乱で、軍の鎮圧は正しかったとする立場を変えていないほか、中国は目覚ましい経済発展を遂げ、国民から支持を受けていると正当性を強調しています。

ただ中国では、社会の安定を乱すとしてインターネットの規制や言論統制が強化され、弱い立場の市民を支援する人権派弁護士などへの締めつけも強まっています。

中国では民主化を求める声や政府への批判は徹底して抑え込まれ、習近平指導部のもと、共産党の一党支配の体制を正当化し、強化していく姿勢が改めて鮮明となっています。

天安門事件とは

事件のきっかけは、学生の民主化運動に理解を示したなどと批判されて1987年に失脚した胡耀邦元総書記がこの年の4月15日に死去したことでした。

学生たちが追悼のために連日、天安門広場に集まって胡元総書記の名誉回復を求め、次第に要求は言論の自由や腐敗した官僚の打倒などに広がっていきます。

4月26日に共産党の機関紙 人民日報は「動乱」と決めつける社説を掲載し、学生たちの間に強い反発が広がります。

デモ行進や座り込みは知識人や労働者にも拡大し、社説の取り消しなどを求めて一部の学生たちがハンガーストライキに踏み切ったほか、参加者が100万人規模に上るデモも行われました。

党の指導部は5月20日に北京市に戒厳令を敷いて事態の収拾に乗り出し、6月3日夜から4日にかけ、天安門広場やその周辺に軍の兵士や戦車を出動させ、武力で強制的に排除しました。

兵士による発砲などで多くの学生や市民が犠牲になり、中国政府は死者の数について319人と発表しましたが、実際はもっと多いという指摘もあり、真相は明らかになっていません。

当時、共産党の中でも学生の主張に理解を示していた改革派の趙紫陽総書記と、最高実力者の※トウ小平や保守派の李鵬首相との間に意見の違いがあり、趙総書記は戒厳令に反対して失脚しました。

※トウは「登」におおざと。

学生運動元リーダーは米に亡命「今の中国は最悪」

当時、北京大学の学生で、学生運動のリーダーだった王丹氏は先月下旬、亡命先のアメリカから日本を訪れ、NHKのインタビューに応じました。

王氏は「1人の若者として情熱を持って国を思い、学生運動を通じて国を変えようとした。後悔はしていない」と当時を振り返りました。

そのうえで「どんなにつらくても、世界を回って30年前に起きた事件の真相を語り続けたい。それが犠牲になった学生たちに対する責任だ」と述べました。

今の中国については、習近平指導部のもとで人権や政治の状況はさらに悪化し、中国全土を混乱に陥れた文化大革命以降、最悪だとし、「今の中国共産党には政治改革を行う兆しが全く見えない」と批判しました。

元学生「衝撃は怒りに、そして絶望に」

北京にある中国人民大学の学生だった54歳の男性は「本当に実弾を撃つとは思ってもみませんでした」と当時の衝撃を語りました。

男性は友人とともによく天安門広場に通っていましたが、当日、別の用事でたまたま広場に行かず、広場に行った親友の1人が亡くなり、「非常に悲しい思いをした」と話しています。

そして「当時の学生は理想主義に燃えて社会を良くしたい、世界を良くしたいと考えていただけです」と述べ、「衝撃から怒りに変わり、そして絶望を感じました」と当時を振り返りました。

そのうえで「この事件は必ず歴史として記憶されるべきです。怒りの感情では問題は解決できないが、忘却はもっと恐ろしいことです」と話していました。

政府が「封印」 事件知らぬ若者も

中国政府は天安門事件について「1980年代末の政治的な騒ぎについてはとっくに結論を出している」として再評価する姿勢を見せていません。

そして「建国70年の間に大きな発展を遂げ、中国が国情に合った道を歩んできたことを証明しており、国民の支持を得ている」と共産党の一党支配の正当性を改めて強調しています。

ただ中国では事件について30年がたつ今も公に語ったり伝えたりすることはタブーとなっていて、言論や報道への統制が行われています。

中国のインターネットでは、6月4日に起きた天安門事件を意味する「六四」などの言葉を検索しても政府側の見解を伝えたごく一部の情報しか表示されません。

中国外務省の定例記者会見で外国人記者が関連の質問をしても、ホームページ上の会見録ではそのやり取りが削除され、掲載されていません。

30年という節目を迎える中、中国メディアは天安門事件について詳細に紹介したり独自の見解を示したりすることはしていません。

中国では天安門事件についてほとんど知らない若者が多くなっています。

言論統制に習主席個人崇拝 今の中国は

習近平指導部は言論統制を強化し、共産党や政府の批判につながりかねない活動への締めつけを強めてきました。

4年前には政府による不当な強制立ち退きや民主化を訴える人たちの弁護を担当する人権派弁護士など300人以上が一斉に警察に拘束されたり取り調べを受けたりしました。

経済格差が依然として深刻な問題となる中、マルクス主義を強く信奉し労働者の権利保護を訴える活動を行う大学生なども、去年以降、相次いで拘束されています。

言論統制も強化され、6年前に共産党の言論統制の方針を示したとされる文書では「欧米式の立憲民主主義」「普遍的価値」「共産党の歴史を否定するもの」などは広めてはならないと通知されていました。

3年前にはインターネットのサービス業者に対し、国内では違法とされる情報を削除することや、当局の捜査に協力することなどを求める「インターネット安全法」が成立し、インターネット上の言論も規制されています。

厳しい言論統制が敷かれる一方、共産党が統制するメディアによって、権力を一極集中させた習近平国家主席の個人崇拝が進められているなどとして、知識人の間では懸念も出ています。

中国屈指の名門校、清華大学の許章潤教授はインターネット上に論文を発表し、習近平指導部が去年、2期10年までだった国家主席の任期を撤廃したことを問題視したほか、「メディアによる指導者の神格化は極限に達し、全体主義国家のようだ」として公然と批判しました。

さらに、天安門事件から30年を迎える中、誠意を示して再評価することが共産党の統治の正当性にもつながると訴えたところ、許教授はことし3月、大学を停職処分となりました。

こうした言論統制や締めつけの背景には、批判などが広がれば共産党一党支配体制を揺るがしかねないとして、習近平指導部が統制を強化していることがあるものとみられます。