ゴーン容疑者が昨日、逃亡先のレバノンで記者会見を開いた。国内外の記者約100人が会見場を埋めた。会見は2時間半に及び、前半はゴーン容疑者の独壇場。後半は世界各国のジャーナリストの質問に、質問者の母国語で答えたという。パフォーマンスは超一流。そこから日本の検察批判、日産幹部批判、挙句の側には日産によるクーデター説まで飛び出した。だが、この会見を伝えるジャーナリストの視点はまちまち。全部に目を通したわけではないが、ゴーン容疑者のパフォーマンスに圧倒されている記者が多いような気がした。
ゴーン容疑者が何を喋ろうが、この問題の本質はただ一点。日産、ルノー、三菱のトップに君臨したゴーン容疑者が“強欲な独裁者”であったか否か、その一点に尽きる。日本の司法制度の問題や人権問題、クーデター説も含め、問題の本質とは全く関係ない。仮にゴーン容疑者が強欲な独裁者であるとの判決がくだれば、独裁者を排除する手段としてクーデターという手段があったとしても、それはそれで致し方ない選択肢だろう。ゴーン容疑者はその一点において自らの無実を証明する以外に、冤罪を晴らす手段はない。法を破ってまで裁判という手段を回避したのだ。この先は証拠を提示して自らの無実を証明するしかない。
昨日の会見はその点において何の役割も果たさなかった。無実を証明するたに、証拠は小出しにする方針なのかもしれない。それならそれでいいが、報酬をオプションとして受け取ろうとした事実、ベルサイユ宮殿での結婚式、ベイルートの自宅、キャロル夫人や息子への資金提供。疑惑の数々はすべて日産との合意の上で行ったという証拠を提示できるのだろうか。パフォーマンスだけでそれを証明するのは難しいだろう。ここから先は証拠を開示し、メディアが裁判所に代わって裁くことになる。仮に証拠を開示しても、それを公正に裁けるメディアはあるのだろうか、ふと気になった。
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