特措法に基づく緊急事態宣言発令から1週間が経過した。新型コロナの感染者は連日最多を更新している。いつもなら「宣言効果なし」と批判するところだが、「もう少し様子をみよう」そんな気持ちになっている。先週の状況が2週間前の状況を反映しているということもあるが、日曜日の朝日新聞に掲載された作家で精神科医の帚木蓬生氏の記事を読んだからだ。タイトルは「結論急がず、悩みに耐える、『ネガティブ・ケイパビリティー』のススメ」。記事はソーシャルメディアの普及で「真偽を見極めずに早急に結論に飛びついたり、過激な意見に走ったりすることが増えた」と、昨今の世相を分析。こうした風潮に「ちょっと待て」と警鐘を鳴らしている。
ケイパビリティー(能力)というのは、一般に「才能や才覚、そして処理や解決などの力だ」という。これに対して「ネガティブ・ケイパビリティー」はその裏返し。「生半可な知識や意味付けを用いて、未解決な問題に拙速に帳尻を合わせない。中ぶらりんの状態を持ちこたえる力」と説明する。18世紀の英国の詩人キーツが提唱したものだという。我が身を振り返ってネガティブ・ケイパビリティーのかけらもないことを実感する。新型コロナ対策に関連して、政治家をはじめ専門家や学者、評論家にテレビのコメンテーターなど、訳知り顔の発言に即座に反発したくなる。宙ぶらりんのまま持ちこたえ、その間に咀嚼し考え、検証し、知見として蓄えていく、そんな力がまるでない。
私だけではない。世の中全体がそうなっているような気がする。SNSの普及で大量の情報が瞬時に飛ぶ交う時代でもある。帚木氏は以下のように指摘する。「誰もが意見を表明しないといけないという脅迫観念に駆られているから、『わからないこと』が許されなくなった」と。そして新型コロナという“未知なる脅威”に遭遇、本来なら「科学的な知見にもとづいた議論が必要な話題でも、拙速に先鋭的な結論にいたることが懸念される」と警鐘を鳴らす。おそらくこうした現象は日本だけではないだろう。世界中でいま先鋭的で攻撃的な批判や論争が繰り返されている。なかには一知半解で感情的な要素も多く含まれているだろう。というわけでこの1週間、「もう少し様子をみよう」「持ちこたえる力」を発揮しよう。
- 投稿タグ
- 感染症