きのう配信された東洋経済オンラインに次の記事が掲載されている。タイトルは、「コロナ禍『経済優先』したスウェーデンの悲惨、死亡率が増え、経済も近隣国同様の状況に」だ。欧州各国がコロナの感染拡大を阻止するためにロックダウン(都市封鎖)といった強硬手段を採用する中でスウェーデンは、日常生活を維持しながら経済活動を普段通り続けるという方針を貫いてきた。その裏にあるのは集団免疫の獲得。当時、国民の6割が感染すれば新型コロナウイルスは自然に消滅するとの説が専門家の間で有力視されていた。スウェーデンは集団免疫獲得のために、あえてコロナと共存する道を選んだのである。
その結果の中間報告である。元稿はニューヨークタイムズで、翻訳が東洋経済のオンラインに掲載された。中身をみると「スウェーデンの悲惨」がてんこ盛りだ。死者数は5500人を突破した。米国の13万人超に比べれば圧倒的に少ないが、人口はたったの1000万人である。「100万人当たりに換算すると、その死者数はアメリカを4割上回り、ノルウェーの12倍、フィンランドの7倍、デンマークの6倍にもなる」と指摘する。日本で同じことが起こればおそらく内閣は吹っ飛ぶだろう。それでも経済と両立するには致し方ないと割り切るしかない。だがその経済も今年の成長率がマイナス4.5%に落ち込む見通し。失業率も大幅に上昇しており、近隣諸国とほとんど変わりはないという。
要するにスウェーデンは「期待された経済的なメリットを得ることもなく、圧倒的に高い死亡率を抱え込んだ」というわけだ。ニューヨーク・タイムズはこうした点を捉えて、「パンデミック中に政府がほとんど行動制限を加えず、通常の生活を続けるとどんなことになるのかは、スウェーデンを見ればわかる」と批判する。スウェーデンに焦点を当てながらトランプ批判のようにもとれるが、スウェーデンの実験がおもわしい成果をあげていないことは事実だろう。形は違うが日本でもウイルスとの共存が始まっている。スウェーデンの悲惨な現実から学びとることがあるとすれば、ウイルスとの共存には理念ではなく武器が必要ということだろう。