外出時のマスク着用は今や大半の日本人にとっては「常識」、個人的には猛暑の最中でも外出する時はマスクを着用している。ところが先週、旅客機の中でマスク着用を拒否した乗客が、途中で飛行機を下ろされるという事件が発生した。この件をめぐりネット上では賛否両論が渦巻いている。大半は着用を拒否した乗客に対する非難で、世間の反応はきわめて常識的。一部メディアもこの問題を取り上げていたが、私が見た情報番組ではMCの某落語家が「小学生だって猛暑の中で我慢してマスクを着用している。大の大人が『マスクを着用しない自由』を主張しているようだが、大袈裟に『自由』なんていう問題か、常識だろう」といった趣旨の発言をしていた。「その通り」、個人的には珍しくテレビのMCの発言に同意した。

マスクは法律やルールによって着用を義務付けられているわけではない。にもかかわらずほとんどの日本人は率先して着用している。その動機はなんだろうか。おそらくそれが「常識」になっているからだろう。新型コロナの感染を防止することはもとより、仮に自分が感染したときのことを考えて、隣人に迷惑をかけないためのささやかな計らいである。私も小さいころに親から「人様に迷惑をかけるな」と、ことあるごとに注意された。日本人は新型コロナが発生したからマスクをつけるようになったわけではない。生活上の常識としてマスクを着用する習慣が身についていたのである。ところが世の中には常識に従わない非常識な人がいる。タバコや空き缶を平気でポイ捨てする人、信号を無視するドライバー、ゴミの分別をしない生活者など、身の回りにも非常識と思える人が少なからずいる。

常識が一つの基盤となっている社会で非常識な人にどう対応するのか、これが今回の事件が提起した常識的な視点だ。ネットには様々な意見が溢れている。書ききれないから省略するが、マスク着用を拒否した乗客はもちろんのこと、着用を促したC Aやと搭乗手続きの際に拒否しなかった航空会社に対する批判も目立つ。これに対して一部の擁護派からは常識派の過剰反応との批判も出ている。コロナ禍の実態は言われるほど深刻ではないという認識が背景にあるのだろう。「常識」の過剰反応が必要以上に過激に「非常識」な人を排除しているとすれば、それはそれで問題だろう。私個人は常識派の典型だと自覚している。同時に時代を切り開くのはいつも、世間にある常識の殻を打ち破る非常識な人だとも思っている。あっくまで一般論だが、常識社会の常識が一見非常識に見える先駆者を排除しているとすれば、それはそれで不幸なことだと思う。