25日に死去した韓国の李健熙サムスン電子会長は徹底した「品質向上」と果敢な投資で半導体と携帯電話などで成長神話を築き、2代目として継承したサムスンを世界トップレベルのブランド企業に押し上げた。

 日本との縁も深かった。「先進国を見て学べ」という父の指示で、小学5年生から3年間、東京に留学。内向的な性格で、孤独な日々を送ったという。寂しさを紛らわせるために犬を飼い、3年間で映画を1200本見たとされる。一時帰国後に再び日本に渡り、早稲田大商学部に進んだ。

 サムスン系列のテレビ局で約10年働いた後、半導体事業に乗り出し、グループ会長に。1993年には「妻と子供以外は全て変えよう」と改革に乗り出し、不良品が出たら問題が解決されるまでラインを止める「ラインストップ制」などを推進し、品質向上を徹底。97年のアジア通貨危機でも大リストラを敢行するなど危機をはね返し、半導体やスマートフォンなどで世界トップのブランドに育て上げた。

 2008年には脱税などの罪で起訴され、執行猶予付きの有罪判決を受ける。恩赦され、経営の一線に復帰。しかし14年に自宅で倒れて以降、表舞台からは姿を消し、長男の李在鎔副会長に実質的な権限が委譲されていた。