目次

1.リード
2.経緯
3.会談冒頭の対立
4.両国の反応
5.勝ったのは中国

1.リード

3月18日、19日の両日、米国のアラスカ州アンカレッジで開かれた米中の外交責任者によるトップ会談は、世紀の大活劇ともいうべき波乱の展開となった。開始早々一種のセレモニーともいうべき冒頭発言で中国の楊潔篪(ヤン・ジエチー)共産党政治局員(外交担当責任者)は、事前に決められていたルール(双方が2分間づつ話す)を無視して15分ほど勝手に中国の正当性をまくしたてたのである。外交史上異例ともいうべきルール破りである。ブリンケン国務長官もこれに対抗、退出しようとするカメラマンを引き留め米国の主張を再度展開したのである。バイデン政権になって初めての政府高官による対面形式の会談。協議の形式をとって入るものの実質的な挑発合戦、果たして勝ったのは米国か中国か、どっちだ。

2.経緯

この会談に至る経緯をまず簡単に整理しておこう。

大統領選挙に勝利したバイデン政権は当面の最大の「競争相手」である中国にどう対応するか、事前に周到な準備を続けてきた。最近の状況は以下の通りだ。

  • 3月12日
    日本、米国、オーストラリア、インドの4カ国首脳がオンライン形式で初の首脳会談を行う。オンライン。
  • 3月16日
    日米外務・防衛担当閣僚協議(2プラス2)。場所は日本。対面。
  • 3月17日
    米韓外務・防衛担当閣僚協議(2プラス2)。場所は韓国。対面。
  • 3月18日
    米中外交責任者会議。場所はアラスカ州アンカレッジ。対面。

(※)16日以降米国の出席者はいずれもブリンケン国務長官とオースティン

国防長官

 この日程を見ただけでも米国が18日からの中国との会談を周到に準備してきたことがわかる。加えて米国は中国との会談場所を、両国の中間点にあたるアラスカ州に設定した。普通に考えれば日本、韓国の訪問のあと北京に飛ぶのが合理的な気がする。だがそこには両国の主導権争いが絡んでいるのだろう。

米国は韓国から6000キロも離れたアラスカ州に楊潔篪政治局員と王毅(ワン・イー)外相を呼びつけたのである。

 中国にとってこれは屈辱的なことだ。韓国まで来ていた米国の外交責任者と会談するために、わざわざアラスカ州まで出向かなければならないのである。

 この間の事情をメディアは「それでも中国は新政権と対話したがっている」と見做していた。楊政治局員は当然こうした国内外の見方を承知していたはずだ。恥を忍ぶように中国の外交担当者はアンカレッジまで出向いたのである。この時点ではブリン兼国務長官に軍配が上がったようにみえた。

3.会談冒頭の対立

 両国の代表団は当日、型通り席に着いた。そして両国の取り決めに従ってブリンケン国務長官がまずスピーチした。時間的には約2分。米国はルールを守った。ロイターによると長官は「新疆、香港、台湾などの問題、米国へのサイバー攻撃、同盟国への経済的な強要行為を含む中国の行動に対する米国の深い懸念を取り上げる」と表明した。

米国は事前に「今回の会談は厳しいものになる」との見通しを示していたが、ブリンケン長官の発言はそれを裏付けるものになった。

 これに対して中国の楊政治局員は予想外の動きに出る。ロイターによると同氏は約束を破り15分間延々としゃべり続けたのである。米民主主義が苦境に立たされていること、マイノリティー(少数派)の扱いや外交・通商政策をめぐって激しく米国を非難したのである。

「米国は軍事力と金融における覇権を用いて影響力を広げ、他国を抑圧している」、「国家安全保障の概念を悪用し、通常の貿易取引を妨害し、一部の国々が中国を攻撃するよう仕向けている」、「米国には強い立場で中国との対話に臨むと言う資格はない」、「20年あるいは30年前でもそのように言う資格はなかった」、「(こうしたやり方は)中国人との向き合い方ではな」等々自説をまくし立てた。

意表をつかれたブリンケン氏は、退出しようとした記者団やカメラマンを引き留め、公開形式で楊氏に対する異論や反論を展開したのである。ここにいたって両国の協議は完全に全世界に向けたアピール合戦になったのである。

4.両国の反応

 おそらく楊氏の発言は事前に用意されていたのだろう。ブリンケン氏や世界の視聴者を狙ったというよりは、この場面を見ている中国人民を意識した自作自演の大演説だったと言っていい。結果的に楊氏の行動は中国国内で絶賛を浴びることになる。

 日経新聞によると共産党機関紙の人民日報系メディアは、今回のアンカレッジ会談と1901年に清朝政府が列強8カ国連合との間で結んだ北京議定書の締結風景と並べて掲載、楊氏の大演説を歴史的に意義があると称賛したというのだ。

北京議定書は義和団の乱を受けて清朝政府が当時、西側の8カ国連合と結んだ協定書。「清朝は巨額の賠償金をのまされ、滅亡への道を転げ落ちていった」(日経新聞)と言われる曰く付きの議定書だ。楊氏は今回の会談で120年前と同じような国家の危機を回避したというのだ。

 一方の米国。国内の中国に対する反応は一段と冷淡になっている。トランプ前大統領が始めた対中国強行路線を民主党も否定できなくなってきた、大方のメディアがそう報じている。

5.勝ったのは中国

 果たして今回の会談、勝ったのはどっちだろうか。アンカレッジまで呼びつけられた中国は、屈辱感を胸に秘めながら米国との会談に同意した。会談の冒頭、ブリンケン国務長官はシナリオ通り中国に対する厳しい認識を表明した。ここまでは圧倒的に米国ペース。バイデン大統領の公約でもある西側諸国と“協調”しながら、中国に厳しい対応を示したのである。ホワイトハウスで成り行きを見守っていたバイデン大統領もほくそ笑んでいたことだろう。

 だが、楊氏の発言で情勢はガラッと変わった。国内で批判にさらされている習近平総書記の強権的な政治が、あの米国を上から目線でやっつけたのである。呼びつけられた腹いせか、米国に対する“嫌味”をまくしたてた。

楊氏一方的な発言は中国国内で称賛の嵐を巻き起こした。楊氏に対する評価はそのまま習氏の指導力に対する賞賛でもある。「負けるが勝ち」、中国は負けたふりをしながら会談の冒頭で大逆転を演じた。これが中国側の当初からのシナリオだろう。

 だが、国際世論はそんなに単純ではない。メディアに公開された両国の厳しい対立を見ながら世界中の人々は、中国が軽々と約束を破る国だという現実を目の当たりにした。おまけに冒頭の対立場面を除けば中国は、記者団が退席したあと淡々と協議を続けたというのである。

会談冒頭に展開された国民向け教宣活動を除けば、この会談で中国が見せた態度は国際的な常識からかけ離れていた。会談を通して中国は「一方的に主張する国だ」という印象を世界中にばら撒いた。

一方の米国。2日間にわたった会談終了後にサリバン米大統領補佐官(国家安全保障担当)は、「幅広い問題について厳しく率直な話し合いを行うことを期待していたが、まさにその通りになった」と記者団に語った。非公開の会談で何が話し会われたのか、中身はほとんど公表されていないにもかかわらず「厳しさ」だけを協調した。

 冒頭の対立が出来レースだったとはいわないが、米国側が中国の無礼を叱責して協議を一時中断するといった対応をとっていれば、米国のいう「厳しさ」ももっと素直に受け入れられただろう。それをしなかった米国はやけに「厳しさ」だけを表明しているようにも見える。

厳しさの裏に馴れ合いがあったとすれば、両国とも歴史の検証には耐えられないだろう。