韓国の元慰安婦訴訟で、ソウル中央地裁が21日、原告の請求を退ける判決を出した。2015年の日韓慰安婦合意を肯定的に評価する一方で、解決には外交努力が必要と指摘した。ただ、日韓は元徴用工問題などでも隔たりが埋まらず、関係改善の道筋は見えない。
「謝罪と反省を含む内容。多くの被害者が支援金を受け取り、救済された」。同地裁は21日の判決で、元慰安婦らの支援のために日本政府が10億円を拠出した15年末の日韓慰安婦合意をこう評価した。
判決では、国家間の合意により韓国政府が認定した元慰安婦240人のうち、41・3%に当たる99人が支援金を受け取ったと指摘。「被害者の相当数」であり、「(元慰安婦の)救済手段が整ったことを否定するのは難しい」と認めた。
同地裁では今年1月に、別の裁判官が元慰安婦らへの賠償を日本政府に命じた判決が確定。原告の賠償請求権は日韓合意の対象に含まれないとしていた。
訴訟の最大の争点となった、国家には他国の裁判権が及ばないとする国際法上の原則「主権免除」でも判断が分かれた。1月の判決では「(主権免除は)他国の個人に大きな損害を与えた国に、賠償を逃れる機会を与えるために作られたものではない」とした。一方、今回の判決は国際慣習法や過去の国際司法裁判所(ICJ)の判例から日本政府の主権免除を認めた。
早稲田大の萬歳寛之教授(国際法)は「今回の判決は国際慣習法の観点からは世界の常識に合致したものだ」と話す。
3カ月半の間に逆の判断が示された理由について、韓国の法曹界では「裁判官によって判断が割れた」と受け止める向きが強い。ただ、文在寅(ムンジェイン)大統領が今年1月の会見で、日韓合意を「両国間の公式合意」と表明したことが「大きく影響したことは間違いない」(梁起豪〈ヤンギホ〉・聖公会大教授)との見方も韓国の専門家の間には出ている。
文氏は今年に入り、日本との関係改善を目指す考えを示してきた。元慰安婦問題では空文化させた日韓合意の有効性を認め、日韓協議で議論の糸口にする狙いがあったとみられる。
今回の判決も、日韓合意を肯定的に評価しつつ、「日本政府の責任を明確に究明できず、被害者の意見を聞いていないなど内容や手続きの一部に問題がある」と指摘。問題の解決には至っておらず、日本との外交的な努力が必要と韓国政府に求めた。
ただ、文政権は、マンション高騰や土地投機疑惑などで政権支持率が急落。来年3月の大統領選を見据えると、元慰安婦問題などで日本側に譲歩することは「政治的リスクが高く難しい」(韓国大統領府の関係者)のが実情だ。日本政府が東京電力福島第一原発の処理水を海洋放出する方針を正式に決め、世論の対日感情がさらに悪化しつつもある。
文氏の信頼が厚い鄭義溶(チョンウィヨン)外相は21日、日韓合意について「日本政府は、韓国が合意を守らず国際法違反だと理屈に合わない主張を続けている。日本にそのような資格があるのか」と痛烈に批判した。
原告代理人は判決後、「韓日合意を(元慰安婦の)権利を救済する手続きと見たことについて到底、納得できない」と批判し、控訴する方針を示した。
しかし、日本政府は1月の判決で命じられた賠償の履行を拒否しており、同地裁も20日までに訴訟費用確保のための日本政府の資産差し押さえを「国際法違反の恐れがある」として認めない決定をした。このため、賠償手続きでも差し押さえは認められない可能性が高い。韓国政府内では「文政権の任期中に対日関係を改善させる解決策を見つけるのは難しい」との見方が支配的だ。(鈴木拓也、神谷毅=ソウル、大部俊哉)
■日本、韓国の対応注視
被告である日本政府は今回も、敗訴する可能性が高いとみて、判決直後に、外務省の秋葉剛男事務次官が韓国の姜昌一(カンチャンイル)駐日大使を呼び、抗議する段取りまで整えていた。だが、主に想定していた形とは異なる判決となった。
日本側は、茂木敏充外相が21日の衆院外務委員会で、「判決が主権免除についての日本政府の立場を踏まえたものであれば、適切なものと考える」と条件付きながら、評価した。官邸幹部は「流れが変わってきた」と語った。
ただ、日本側が注視するのは、判決を受けた韓国政府の対応だ。
慰安婦問題をめぐっては15年末、安倍晋三首相と朴槿恵大統領(いずれも当時)の政治決断を受けて、「最終的かつ不可逆的に解決」することで合意。だが、その後の大統領選では、のちに大統領となった文氏は「合意は誤りだった」と主張した。日本側は韓国側に対し、1月の判決を含めて国際法違反の状態を是正するよう求めている。茂木氏は同委で「韓国が国家として国際法違反を是正すべきだということだ。韓国側の前向きな提案を期待したい」と答弁した。
元徴用工らによる訴訟で日本企業が賠償命令を受けた問題も含めて、日韓両国間にはなお多くの懸案が横たわる。
今月16日に米国で開かれた日米首脳会談の共同声明では、日米と韓国との協力が「共通の安全および繁栄にとり不可欠」との文言が盛り込まれた。中国や北朝鮮への対応を念頭に日米韓連携の重要性を強調した形だ。だが、その基盤となる日韓関係には改善のきざしが見えていない。
日本側からみると、残り任期が1年となった文政権の支持率が低迷し、大胆な政策転換は「いまの韓国には期待できない」(日本政府高官)と考えるからだ。菅義偉首相は昨年9月の就任直後に、文氏と電話で1度話しただけ。茂木氏も外相に今年就いた鄭氏と、一度も対話できていない。(安倍龍太郎)