国際機関で働く「若干名」の日本人や、日本大使館の現地スタッフらをアフガニスタンから国外へと連れ出す自衛隊の「退避作戦」は、日本人1人だけという結果に終わった。対象者として、約500人規模を想定していたが、大半を占めるアフガニスタン人がイスラム主義勢力タリバンの検問を通過できずに空港にたどり着けなかったとみられる。
岸信夫防衛相は27日午前の閣議後会見で、「カブール空港における安全は、米軍によって確保されている」と語っていた。自衛隊輸送機の派遣根拠となった自衛隊法84条の4の「在外邦人等の輸送」は、「安全に実施することができると認めるとき」との要件を定める。テロがあっても、空港内が安全ではない、とは認められない状況だった。
最大の障害は「安全」とした空港の中ではなく、外にあった。退避希望者が押し寄せて周辺は混乱。検問もあり、外務省はバスに乗り合わせて空港へ向かう方法で打開を図ろうとしたが、26日には空港近くで自爆テロが発生。検問は厳しさを増したという。
各国が輸送機をカブールへと飛ばすなか、政府は26、27日の2日間で約500人を移送できるだけの発着枠を確保したとしていた。外務省幹部は26日時点で「発着枠の分を往復すれば、全員退避できる計算だ」と語っていた。
しかし、26日の自爆テロで状況は悪化。米側からも新たな発着枠はないと通告されたといい、退避作戦は打ち切りを迫られた。
カブールが陥落した15日、岡田隆大使はアフガニスタン国内にはいなかった。17日に日本人大使館員12人は英軍機で出国したが、大勢のアフガニスタン人スタッフらが残され、政府は退避作戦に乗り出すことになった。だが、救えたのは日本人だけだった。
日本政府は国外退避へ向けた努力を続けるとするが見通しは立っていない。防衛省幹部は言う。「空港だってめちゃくちゃになるかもしれない。今はまだわからない」(菅原普)