北海道の知床半島の沖合で観光船が遭難した事故は発生から5日目。
観光船の運航会社「知床遊覧船」の桂田精一社長の初めての記者会見が午後4時50分ごろから斜里町内のホテルで行われました。
会見では桂田社長が「被害者の方々に対し、大変申し訳ございませんでした」などと謝罪したうえで、事故当日の状況や運航の安全管理体制などについて説明。会見は、午後7時すぎに終了しました。

当日の状況は…

記者会見で運航会社「知床遊覧船」の桂田精一社長は遭難事故が起きた23日当日の経緯について用意した資料をもとに説明しました。

それによりますと、今月23日の午前8時ごろ、桂田社長は「KAZU 1」の豊田徳幸船長と当日のクルーズについて打ち合わせをしたということです。

その際、豊田船長から「午後、天気が荒れる可能性があるが、午前10時からのクルーズは出航可能」と報告があったとしています。

この報告を踏まえ、桂田社長は海が荒れるようであれば引き返す、条件付きの運航とすることにして、当日の出航を決めたということです。

その30分後の午前8時半になって、ほかの船長から会社にある無線のアンテナが故障していると報告があり、すぐに業者に修理を依頼したということです。ただ、無線が故障していても、携帯電話や同業他社の無線を借りることも可能だったため、出航を取りやめる判断はしなかったとしています。

そして、午前10時、乗客を乗せた「KAZU 1」は港を出発しました。
3時間余りたった午後1時13分、「KAZU 1」からほかの運航会社に「今、カシュニの滝だけど戻るのが遅れます」と無線で連絡が入りました。

5分後の午後1時18分、「KAZU 1」から再び、ほかの運航会社に無線で「船首が浸水している」などと救助を求める連絡があり、この会社から海上保安庁に救助要請を行ったということです。

また、その後、「KAZU 1」も直接、海上保安庁と連絡を取り合っていたということです。

その結果、午後4時半ごろに海上保安庁の航空機が現場海域に到着し、救助活動が開始されたということです。

事故前日までの経過は…

桂田社長は、事故前日までの経過について、用意した資料をもとに説明しました。

それによりますと、去年5月「KAZU 1」は、船首が海上の浮遊物と接触する事故を起こしたということです。このとき船を運航していたのは豊田徳幸船長ではなかったとしています。

また、「KAZU 1」は、翌6月に、船尾を暗礁にこする座礁事故も起こしたということです。このとき運航していたのは豊田船長で、ほかに同乗してかじを取った従業員もいたとしています。

座礁事故を受けて、去年7月、会社は「KAZU 1」を造船会社に修理に出し、修理が完了したあと日本小型船舶検査機構の検査を受けて、合格したということです。

その後、北海道運輸局から会社に対し、これら2つの事故に関する行政指導があり、会社は改善報告書を提出したということです。

ことし1月からは今シーズンの運航に向け「KAZU 1」を陸に揚げ、造船会社に船の整備を依頼しました。
今月15日に整備が完了し、その後、複数回、テスト走行をしたのち、今月20日に日本小型船舶検査機構の中間検査を受けて合格したとしています。

翌21日、「KAZU 1」はほかの運航会社3社とともに事故を想定した救助訓練を行い、同じ日に行われた海上保安庁の定期的な安全点検では、救命胴衣や船体の検査が実施されましたが、船体の亀裂などの指摘はなかったということです。

そして、事故前日の22日は、豊田船長が「KAZU 1」でほかの運航会社とともに、事故当日の23日と同様のコースで海上の漂流物を確認する安全確認の運航を行ったとしています。

<桂田社長 会見要旨>

桂田社長は記者会見で「このたびは当社の船舶のクルーズの中で大変な事故を起こしてしまい、被害者の方々に対し、大変、申し訳ございませんでした。被害者の方々のご家族に対して大変な負担をかけております、申し訳ございませんでした」と謝罪しました。

そして、「現在捜索中の被害者の方が一日でも早く見つかることを心よりお祈りするとともに、捜索のためにできうることをしていくつもりでございます。今後、被害者の気持ちを第一に考えて対処するとともに、原因究明のための協力を全力で行っていく所存でございます。このたびは大変申し訳ございませんでした」と述べ、今後の調査に協力していく考えを示しました。

“引き返す条件付きで運航決定”

事故当日の朝の豊田船長とのやり取りについて。
午前8時ごろ、当日のクルーズの打ち合わせを行ったとしたうえでー

「豊田氏から午後の天気が荒れる可能性があるが、当日、午前10時からのクルーズは、出航可能との報告があった。この時点での風と波も強くなかったので、海が荒れるようであれば引き返す条件付き運航とすることを豊田船長と打ち合わせ、出航を決定した」

「午前8時半ごろには、社内のほかの船長から、会社の無線のアンテナが、屋根から落ちているとの報告があり、午前9時10分ごろ、業者に修理を依頼した」

「当社の無線の故障は、携帯電話や隣接する他の運航会社の無線でのやり取りも可能であるため、出航を停止する判断はしなかった」

「謝罪をするしかございません」

会見に先立って行った、家族への説明会についてー
「今のところ私としては正直なところ、謝罪をするしかございません。大切な家族を失ったわけでございますので、まだ捜索中の方も、見つかった方もいらっしゃいます。謝罪しても謝罪のしようがございませんでした」

家族の反応についてー
「私ができるかぎりのことをやってあげたい、それしかできることはないと思いました。やり場のない感情も含め、私としては精いっぱいの会見になってしまいました」

通報の経緯は…

救助要請の通報経緯についてー
「午前10時にウトロ港を出航し、『KAZU 1』から午後1時13分にほかの運航会社に無線連絡でカシュニの滝に向かうのと、戻るのが少し遅れるとの連絡がありました。その後、午後1時18分、ほかの運航会社に無線連絡で船首が浸水していると救助を求める連絡があり、ほかの運航会社が海上保安庁にその時、救助要請をかけてくれています。その後は海上保安庁と『KAZU 1』の無線でやり取りを行っております。午後4時半、海上保安庁の航空機などが現場に到着し、救助活動を開始したと聞いております。私が今のところ把握している事実は以上です」

出航“通常どおり問題ないと思った”

ほかの漁船や観光船の事業者から波が高いから出航を控えるよう言われながらも出航したことについてー
「私も現場にいて見送ったが、通常どおり問題ないと思った。観光船の事務所では、天候が急変した場合に、予定地点に到達できないことがあると伝えていて、船長判断で戻ってくることを長年やっている。当日8時に豊田船長と打ち合わせをして私が決めた」

出航の基準についてー
「波が1m以下、風速8m以下、視界が300m以上ないと出航できない」

事故を知った経緯は…

桂田社長は、事故を知った経緯について、浸水しているという連絡が他社に入ってすぐ、事務所につめていた担当者から携帯電話に連絡があったと説明しました。

その後の対応についてー
「漁業関係者に連絡し、救助チームがあるということで出航の手はずを整えてもらう予定だった」
「その後、波が高くなり、風が出てきて助けに行けないかもしれないということで、海上保安庁の救助に任せることになった」

また、自身は連絡があった際、会社にはおらず病院にいたと説明しました。

事故に至った理由「私のいたらなさ」

桂田社長は、船長との打ち合わせについて、シーズン中は毎日、海沿いにある建物で話をしていると説明しました。

事故に至った理由についてー
「私のいたらなさだと感じています」

当日、観光船の出航を決めた判断についてー
「いまとなれば、このような事故を起こしてしまったので、間違っていたと思っています」

「収益のために無理に出航させたことはない」

会社の体制についてー
「事故当時は8人でやっていました。通常、大型連休に向けてさらにスタッフを4月に雇うが、コロナ禍でもあったので、8人でスタートした」

会社の収益のために無理な出航をするのかー
「収益のために無理に出航させたことはない」

会社のアンテナが故障していたことについてー
「私も気付かず、当日の朝8時半に他社から指摘され、午前9時10分に専門の業者に連絡した」

当時、波浪注意報が出されていたのに出航したことについてー
「注意報は把握していたが、ウトロ港の近くを車で走っても海は平穏だったし条件付き運航をしているので大丈夫だと思っていた」

桂田社長は5年前に観光船の運航会社を前社長から譲り受ける形で社長になったと説明。譲り受けた当初についてー
「すべて訓練されたスタッフ、船をつける場所や船などがそろっていたので、安心して社長としてやっておりました」

スタッフの体制についてー
「(シーズンオフの)12月から4月の間に、新型コロナの時期に、今後どうやっていくかスタッフと話をして、意見の不一致で、ことしの4月に入ってこなかった人もいた」

豊田船長に操船を任せたことについてー
「通常はベテラン船長を3年ぐらいつけて指導していたが、豊田さんについては水上バスとか運転していたり、そういうところも含めて船長にするという判断があった」

事故の原因を問われたのに対しー
「実際に事故が起きていて、私の至らなさだと思っている。事故の原因も分からない。そういう至らなさだ」

“何度か遅れるという連絡あった”

出港後の天気図の確認や船長への連絡についてー
「できなかった。事務所に人がいたので自分からは行わなかった」

当日の運航予定についてー
「船は午後1時に戻る予定だったが、午後1時13分に遅れるという連絡までに、時間は不確定だが、何度か遅れるという連絡はあった」

船に衛星電話を積んでいたかどうかー
「積んでいたと認識していたが、故障していたために修理に出していて、積んでいなかったと聞いている。実際どうだったのか確認できていない」

天気図を見誤ったのではないかという指摘についてー
「自然現象なので、常に正確ではない」
「船長が適切に判断して運航していると思っていた。今回は至らなかった」

“これまでも条件付き運航は行っていた”

乗客の家族の中に、事故から時間が経ってから連絡がついた人もいた理由についてー
「当日から関係各所が遊覧船の事務所に詰めていたが、乗船名簿でわかるのは本人の連絡先のため、実家の連絡先は書いていなかった。遅れた理由はそこにある」

出航の判断を行うにあたって、豊田船長が当日、天気予報を確認していたかどうかについてー
「確認していたとは思うが、確認しているところは見ていない」

これまでも、波浪注意報が出ていても出航することがあったかについてー
「よく、ということはないが、条件付き運航は行っていた」

衛星電話が故障していたことを知ったタイミングについてー
「最終的に今回の事故が起きてから確認しました」
「衛星電話の調子が悪いのは聞いていたが、使えなくなっているという認識はなかった」

無線のアンテナが壊れていることを過去に指摘されていたのではないかー
「それはございません」

出航見合わせる基準「経験値のようなもの 紙に書いてはいない」

出航を見合わせる波や風の基準についてー
「数字は定めているが、経験値のようなもので、紙に書いてはいない」

ほかの会社では、運航基準に条件を記載しているのではないかー
「聞いたことがない」

出航判断を行う基準は

出航判断を行う基準についてー
「数値は小型の観光船を運航する各社の中で、暗黙の了解として設定しているものだ」と述べました。

なぜ、他社が出航しない時期に、いち早く単独で運航していたかー
「会社は譲り受けた会社であり、当初からそのような形だった。過去にはもっと早く出航したこともある」

「KAZU 1」の船体についてー
「何十年も走ってきたので、問題ないと思っていた」

また桂田社長は、ほかの会社とともに、ことし4月21日に、事故を想定した救助訓練を行ったほか、翌日の22日には、実際のルートを運航し、安全確認を行ったと説明しました。それにもかかわらず、事故の当日まで、衛星電話や無線の故障に気づかなかったことについてー
「衛星電話は、修理して直っているのかなと思っていた。無線についても、毎日確認すると思うが、気づかなかったし、報告も受けていなかった」

会見前の説明会 家族からは怒号も

北海道斜里町のホテルでは桂田社長の記者会見に先立って、27日午後、船の乗客の家族に対して説明会が開かれました。

同席した町の観光協会の事務局長によりますと、桂田社長が状況を説明したのに対し、家族からは「なぜ天候が悪くなるとわかっていたのに出たのか」という声が相次いだということです。

また、経過についての説明はその後に行われた記者会見で配られたのと同じ資料が使われたということで「資料だけでは足りない」など怒号が飛んだということです。

国土交通省などによりますと、家族の中にはその後開かれた記者会見の模様をオンラインでみていた人もいたということです。桂田社長は、28日も家族に直接、説明をすることにしています。

国土交通相 “会社による乗客の家族への対応 不十分”

北海道の知床半島沖で起きた観光船の遭難事故を受け、国土交通省が27日に開いた対策本部会議で、斉藤国土交通大臣は「運航会社の社長が乗船者のご家族に対し、謝罪と事故経緯の説明を行っているが、その内容は、到底ご家族の納得を得られるものではなかったと報告を受けている」と述べ、運航会社による乗客の家族への対応が十分でないという認識を示しました。そのうえで家族への対応や説明を丁寧に進めるよう求めました。

北海道・知床半島沖で起きた観光船の遭難事故で亡くなった千葉県松戸市の※ヌデ島優さん(34)の両親が27日夜、取材に応じ「荒れた海の中で恐怖や冷たさを感じて死ぬ間際まで無念だったと思います」などと涙ながらに話していました。