[ドバイ 12日 ロイター] – イランの元教師、ソマイエさんは過去数十年間、他の数百万人のイラン女性と同じく厳格なイスラム法によって抑圧されながらも、政治指導部の聖職者に抗議することは怖くてできなかった。だが、風紀警察に拘束されたマフサ・アミニさんが先月に急死した事件をきっかけに、そんな態度に見切りを付けた。
アミニさんの葬儀を機に広がったデモの最前線に立つのは、こうした女性たちだ。1979年の革命以来、イランの体制は最大級の試練を迎えている。
専門家は、イランの政治が変化する可能性は小さいとみている。しかし、アミニさんの死は空前の規模で女性たちを結集させた。女性らは大きな危険を顧みずに自由を求めて闘い、男性支配の社会を率いる聖職者らを引きずり降ろすために声を上げている。
「彼女の死によって、我慢の限界を超えた。長年にわたってイラン女性を抑圧してきた結果がこれだ」とソマイエさん。「差別的な法律にも、二級市民として扱われることにもへきえきしている。今こそ政治改革を求める」と語る。
「娘まで風紀警察と対立して、彼らに殺されるのではないかと恐れながら生きるのはこりごりだ。マフサ(アミニ)さんの死は、私たちが権威と闘わなければならないことを示してくれた」とソマイエさんは続けた。
数多くあるイラン女性の不満の中で、服装規定の強制はその筆頭だ。イラン女性は国民の半数以上を占め、中東で最も教育水準が高い部類に入る。識字率は80%を超え、イランの大学生全体の60%超が女性だ。
だが、革命後に導入されたイランのイスラム法では、男性は女性よりもはるかに簡単に配偶者と離婚することができ、7歳以上の子どもの親権は自動的に父親が担うことになる。
議員や高官を含め、女性が外国に行く際には夫の許可が必要だ。法廷で証人として行う証言の価値は女性が男性の半分で、娘の遺産相続は息子の半分となっている。
女性は合法的にほとんどの職に就くことが可能で、投票権もあり運転もできるが、大統領選への出馬や判事になることは禁じられている。
<強硬派大統領が規制強化>
昨年の大統領選で保守強硬派のライシ氏が勝利し、穏健なリベラル派政治家の影響力が弱まって以来、女性への圧力はさらに強まった。
ライシ大統領が「ヒジャブ(髪を隠すスカーフ)と貞操法」を施行したことで、女性は一部の銀行や政治関連事務所、一部の公共交通機関への出入りを禁じられるなど、規制が増加した。
街頭には風紀警察の車両が増え、ソーシャルメディアには警官が女性を殴ったり拘束したりする動画が流れている。
自由な国に暮らし、諸外国の人々と同じ権利を持つ資格があるはずだと考える多くのイラン国民は、この様子に怒りを募らせた。
「もはや服装規定の問題ではない。イランという国の権利の問題だ。何十年間も聖職者によって人質に取られてきた国の問題なのだ」と憤るのは、イラン中央部の都市・ヤズドに住むナスリンさん(38)だ。「望み通りの生き方がしたい。聖職者によって私の国がコントロールされない、より良いイランを求めて闘う」と決意をにじませた。
<自由に生きたい>
治安部隊は情け容赦なくデモ参加者らと対峙し、人権団体によると、少なくとも19人の未成年を含む185人以上を殺害した。負傷者は数百人、拘束者は数千人に及ぶ。
イラン当局側は、「暴動」により治安部隊のメンバーが少なくとも20人死亡したとしている。
「私は自由な国に暮らすことを夢見て育ってきた。自由に歌い、踊り、ボーイフレンドをつくって風紀警察のことなど恐れずに街で彼の手を握れる国を」と語るのは、フリーランスの通訳者、ジノウスさん(27)だ。「何も怖くない。母と姉妹達と一緒に抗議デモに行って『もううんざりだ』と声を上げる」と言い切った。
政治指導部の聖職者らは、抗議デモの背後には敵国がいると主張。女性が商品広告や「無秩序で違法な性的ニーズ」を満たす道具に使われている西側諸国よりも、イランの方が女性は保護されている、との考えを示している。
ニューヨークに住むイラン系米国人の人権活動家、マシフ・アリネジャド氏は「ヒジャブの強制は、イランの最も弱い柱だ。だから体制は、革命を非常に恐れている」と解説する。
アリネジャド氏は2014年にフェイスブック上で、ヒジャブを着けていないイラン女性の写真をシェアする活動を開始。17年と18年にもヒジャブ強制に対する抗議活動が行われ、人権団体によると数十人が投獄された。
(Parisa Hafezi記者)