By 唐鎌大輔 みずほ銀行 チーフマーケット・エコノミスト

コラム:動き出した家計金融資産、「いずれ日本に戻ってくる」の危うさ=唐鎌大輔氏

[東京 8日] – 円安地合いが解消する兆しがない。円安の一因として注目される「家計部門の円売り」の最新動向を示す数字として、6月末に日銀が発表した2024年1―3月期の資金循環統計は重要だ。このテーマについては過去の本コラムを通じて定期的にウォッチしており、1月には「新NISA、外貨買い誘発し『貯蓄から逃避』の契機になるのか」というコラムを寄稿した。

まだ断言できる段階には無いものの、日本の家計部門の投資行動について「いよいよ動き出した」という感はある。「貯蓄から投資」は1つの傾向として指摘できそうだ。

<鮮明になる効果と副作用>

政府・与党の推し進める資産運用立国との関連で注目される家計の金融資産残高は3月末時点で前年同期比プラス7.1%の2199兆円で、5四半期連続で過去最高を更新しているが、その推進力となったのはやはりリスク性資産だった。具体的には投資信託が同プラス31.5%の119兆円株式・出資金が同プラス33.7%の313兆円と著しい伸びを見せた。新NISA(少額投資非課税制度)は確実に効果を上げているという評価になるだろう。

しかし、今の日本では新NISAの効果よりも副作用に注目が集まっている。確かに、上述のような動きを受けて株式・出資金の構成比率は14.2%と統計開始以来の最高水準を更新している。これ自体は紛れもなく前向きな効果と言えるだろう。一方、筆者試算の外貨性資産の構成比率も4.2%とやはり統計開始以来の最高水準を更新している。20年以降の伸びはかなり一方的であり、新NISA稼働以前から、「貯蓄から投資」は「円から外貨」という構図で進んできたという実情が見てとれる。

こうした動きの背景に円安の不可逆性を意識する国民感情があった可能性は否めないし、事実、これをたきつけるような論調も増えている。「皆がやっているから」が主たる行動原理になりやすい日本において、これは軽視できない危うい兆候に思える。実際のところ、毎日のようにインバウンドによる「強い外貨」をクローズアップする報道が行われ、「弱い円」の立ち位置を意識させられていれば、投資よりも防衛としての外貨投資意欲が湧くのは理解できる話だ。

なお、2000年3月末時点と比較すると、約四半世紀の間に外貨性資産比率は5倍弱(0.9%→4.2%)に増えていることが筆者の試算から分かる。主体となるのは「eMAXIS Slim 全世界株式(オール・カントリー、通称オルカン)に象徴されるような外貨建て投信信託で、次いで米国の個別株投資などに象徴される対外証券投資も増えている様子が見える。

また、全体の占める比率は大きくないものの、近年ではネット銀行を中心として特別に高い金利を付与する外貨預金も販売されていることから、この部分も伸び余地があるかもしれない。いずれにせよ「貯蓄から投資」は国内株への配分も確かに増えているものの、「円から外貨」の動きを通じて実現されている部分が相当に大きそうなことは事実である。これは投資であると同時に、「弱い円」からの逃避とも読める。

<資金循環統計では遅きに失する恐れも>

今後も、資金循環統計は「家計の円売り」の進捗をチェックするデータとして注目されていくだろう(現に、今回も統計発表前から外貨性資産比率の試算データを使わせて欲しいという依頼が複数あった)。しかし、日本の家計部門の実情を捉えるにあたって、資金循環統計に依存し過ぎることは危ういだろう。

例えば、現在の日本ではその他サービス収支における保険・年金サービスの赤字が急拡大している。背景として外貨建て生命保険の販売急増などが挙げられている。昨年来、その販売方法などを巡って金融庁が監督強化に乗り出していることは既報の通りだ。統計上、こうしたフローが資金循環統計上の「保険・準備金」(円貨性資産)に計上されるとすれば、実は試算される外貨性資産比率は上記の4.2%よりももっと高い可能性はある。

また、そもそも統計の発表時期が遅いという弱点もある。資金循環統計が極めて有用な数字であることは間違いないが、3か月前のスナップショットしか教えてくれない。周囲の雰囲気に押されて一気呵成(かせい)に動く傾向にある日本人の気質を踏まえれば、「家計の円売り」が本当に日本経済にとってリスクとなっているのかという事実を判断する際、統計発表を待っていたのでは初動が遅れる不安もある。

<「いずれ戻ってくる」の危うさ>

未だに新NISA経由の円売りと現下の円安の因果関係をいぶかしむ論調もある。確かに、100%の確証があるわけではない。それでも筆者がこの問題を繰り返し危惧するのは、「一度出て行ってしまった円は半永久的に戻らない」という事実が軽視されているように思えるからだ。

もちろん、老後資金のための運用と位置付ければいつかは戻るのかもしれない。それ自体が円高圧力になる可能性も確かにある。とはいえ、それがいつ、どういった規模で戻ってくるのか。少なくとも近未来の話ではあるまい。

そうしている間にも毎年、社会人になる世代は新NISAの積み立て設定にいそしむのではないのか。これから社会人になる若年世代はそれまでの世代と違って「強い円」を知らない世代に入れ替わっていく。いつまでも円の現預金を安全資産として抱えてくれる可能性は高くないだろう。これまでは無かった話である。「いつ戻ってくるか分からない円」よりも「今出ていっている円」が社会に与えている影響を気にするのは当然だ。

より根本的な話をすれば、新NISAで積み立てられた外貨建て資産に関し、「いずれ戻ってくる」という保証も絶対ではない。既に「外貨を外貨のまま利用するサービス」は一部金融機関で提供されている。「売られた分が必ず戻ってくる」という保証はないし、日本の経済・金融情勢が今よりも悪化していれば、余計に当てはまる不安である。

現状の日本経済に目をやれば、円安によって実質所得環境が悪化し、実質個人消費ひいては実質国内総生産(GDP)が停滞する状況にある。こうした中、果たして「家計の円売りが増えてきましたね。円安に関係あるかもしれませんね」と指をくわえて見ていることが正しいのか。事実として前年実績の3倍ペースで購入が進んでいる以上、これが円安相場の一翼を担っている可能性は相応に高いと考えるのは普通だ。そう考えた上で何らかの処方箋も検討に値する。英国でも議論の俎上(そじょう)に載った(しかし総選挙で棚上げになってしまった)非課税の範囲に国内株優先枠を設けるアイデアなどは、頭の体操としてあっても良い。

もちろん、制度開始初年度においてそこまで過剰反応を示すのも正しいとは思わない。ただ、「一度決めたものは容易に変えるべきではない」という現状維持バイアスが強そうな日本だからこそ、実体経済にとって悪影響があると感じられた場合は、将来的にどのような変容がふさわしいかについても、早めに少しずつ検討しても良いだろう。今のところ、新NISA制度が奏功し「国際分散投資が動き始めた」という前向きな評価も十分可能ではある。

しかし、そうした評価と同時に「このまま行ったらどうなってしまうのか」という時間軸を伸ばした議論も活発化されることを望みたい。

編集:宗えりか

(本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています)

*唐鎌大輔氏は、みずほ銀行のチーフマーケット・エコノミスト。2004年慶應義塾大学経済学部卒業後、日本貿易振興機構(ジェトロ)入構。06年から日本経済研究センター、07年からは欧州委員会経済金融総局(ベルギー)に出向。2008年10月より、みずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)。欧州委員会出向時には、日本人唯一のエコノミストとしてEU経済見通しの作成などに携わった。著書に「欧州リスク:日本化・円化・日銀化」(東洋経済新報社、2014年7月) 、「ECB 欧州中央銀行:組織、戦略から銀行監督まで」(東洋経済新報社、2017年11月)。新聞・TVなどメディア出演多数。