米大統領選挙はいまのところ完全にカマラ・ハリス副大統領のペースで進んでいる。これと比較しても意味ないかもしれないが、候補者乱立気味の自民党の総裁選レースも、裏金づくりにまつわる不信感がまるで嘘だったかのように国民の関心を集めている。銃撃事件で一気に優位に立ったトランプ前大統領も、政権奪取に近づきつつあった立憲民主党も、あっという間に影が薄くなった。米民主党はバイデン大統領が候補者だった頃に比べ、党内分裂は目立たなくなり挙党一致でハリス候補を応援しているように見える。結果を占うのは時期尚早だが、政治がいかにムードに支配さるか、その象徴のような選挙戦になっている。経済、外交、政治倫理、金銭疑惑など、政治の本質的な部分はそっちのけで、両選挙とも“刷新感”の演出に余念がない。要するにポピュリスティックな政治の現状を照らし出しているようにしか見えない。

バイデン大統領が選挙戦から撤退し、カマラ・ハリス副大統領が登場する前の民主党は、クリント夫妻とオバマ夫妻が対立、極左と保守系では全く別の政党であるかのように主張が異なっていた。ハリス副大統領自体が大統領候補者としてノミネートされるまでは、米主要メディアのほとんどが無能な副大統領との烙印を押していた。そのハリス氏が候補者になるやいなやメディアはこぞってハリス氏を、「歴史に名を刻む大統領になる」とのバイデン氏の発言をなぞるようになった。米主要メディアの大半が民主党寄りだとはいえ、ここまであけっぴろげに手のひらを返すのを見ていると、私のような捻くれ者は途端にメディア不信に陥ってしまう。2016年の大統領選で米国の主要メディアは、横並びでクリントン候補の勝利を予測していた。ハリス氏とクリントン氏、どちらが勝つかまったく分からないが、ハリス・ブームを見ていると8年前の過去の記憶が蘇ってくる。

表紙を取り替える。自民党もまったく同じことをやっている。岸田総理の不出馬は当然として、表面的な派閥解消の建前に便乗して10人を超える候補者が乱立する様相を呈している。派閥解消それ自体が見せかけに過ぎないのだが、あたかもそのせいで候補者が乱立するかのような機運を生み出している。もちろん派閥解消を実践している候補者もいる。だが大半は派閥の要請、あるいは派閥のボスの要請を受けて立候補に名乗りを挙げている。そうした事実はいずれ明らかになるだろう。加えて政策論争は皆無だ。もちろん日米ともこれから政策論争が始まる可能性はあるのだが、いずれの選挙も政策よりムード優先である。政策を実現するためにはとりあえず選挙に勝たなければならないのだから、ムード優先になるのは致し方ない。結局は有権者の判断ということになるが、有権者はムードに弱い。日米ともこれが選挙の盲点だ。