思想史の本といってもデカルトやカント、フッサール、サルトル、デリダ、ドゥルーズといった偉大な思想家の著作物を読んでいるわけではない。入門書の類に過ぎない。きっかけは終活の一環として本棚の整理をしようと考えたこと。いらなくなって本を少しずつブックオフに持って行こうと思って最初に手にしたのが、本棚の奥深くに沈んでいた「現代思想・入門」。サブタイトルには「わかりたいあなたのための」「サルトルからデリダ、ドゥルーズまで、知の最前線の完全見取り図」とある。なんとなく取り出してパラパラとページをめくりながら、奥付を見たら1985年2月15日発行の第3刷版だ。なんと約40年前に買った雑誌だ。今でも安直な広告フレーズに騙されやすいタイプだが、当時は入社歴10年を超え30代前半の働き盛りの頃だ。「知の最前線」に引き寄せられて購入したのだろう。定価980円。J I C C(ジック)出版局発行。なにそれ、そうあの別冊宝島だ。

買った記憶も読んだ記憶もまったくない。鉛筆で線を引いた跡もない。買ったまま“積んどく”の40年が経過したのだろう。なんとなく申し訳な気がした。この際、少し読んでみるか。不透明な時代でもある。認知症の防止に役立つのかもしれない。ほんの気まぐれ、軽い気持ちで読み始めた。表紙をめくると執筆者の1人である小阪修平氏の巻頭言がある。「この国では、ヨーロッパの新しい知を輸入して、人にはあまりわからないことを喋るのがずっと知的なファッションだった」。でもそれではダメだ。「だから僕たちは知を権威から解放し、『自分の知』にしてしまうことを提案する」。新しい知とはなにか。「現代フランスの構造主義以降の思想なのである」。業界用語で言えばポスト構造主義の思想ということになる。それを知るためにはそれ以前の思想界の潮流も抑えておく必要がある。現象学、実存主義、記号論、構造主義などポスト構造主義に至る諸思想が含まれている。

説明がわかりやすいこともあったのだろう。わからないままに270ページに及ぶ1冊を読み終えた。読後感を一言で言えば、偉大な思想家たちの葛藤の歴史に想いを新たにしたことだろうか。思想と言えば聞こえはいいが、ギリシャ哲学以来思想界の潮流は“分派”の歴史でもある。大戦争を経たあといまだに殺し合いを続ける人類の愚かさに、連綿として積み上げてきた「思想の知」はどこにどう貢献をしてきたか。素人目にも大思想家たちが積み上げてきた知の現状に疑問が湧いてくる。それはそれとして、40年という年月を経てようやく思想の面白さ、楽しさの一旦がわかったような気もした。この雑誌の著者の1人である竹田青嗣氏の「現象学入門」(NHK出版)を早速買ってみた。いつの頃からか私には一つの疑問がある。「無限とは何か」、限りがないとはどういうことか。宇宙は無限か、人類の知は無限か。そこが知りたい。そんなことを考えているうちに終活の手は止まってしまった。