ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(被団協、田中熙巳代表委員)の授賞式が世界中で話題になっている。受賞演説に立った田中代表委員は「核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか、世界中のみなさんで共に話し合い、求めていただきたい」と訴えました。この演説を聞いた出席者がハンカチで涙を拭うシーンがテレビに映し出されていた。これを見ながら思わず「プーチンよ、被爆者の声に耳を傾けろ」と叫びたくなった。この授賞式に参加した高校生平和大使の一行が21日に帰国、記者会見を行った。それをNHKが夜7時のニュースで取り上げた。平和大使が掲げるスローガンは「微力だが、無力ではない」(Our impacts may be small,but we are not powerless)、スピーチでこれを伝えた時、聴衆から「Yes」と大きな拍手と歓声が湧き上がったという。この拍手の大きさに大使たちは、「私たちが励まされました」と語る。君たちは世界を勇気づけたのだ、そんな気がした。

以下は記者会見で語った発大使たちの発言の引用(NHKプラスから)
・島津陽奈さん(熊本県)、「10年後には被曝証言を語る被爆者はもういないかもしれないというスピーチがあり、後世に伝えていかなければならないと改めて実感した。私たち高校生は被曝証言を聴くことができる最後の世代だと思っている。継続して被曝証言を伝え、核廃絶への思いを強く訴えようと改めて思いました。
・浅田凛さん(長崎県)、「私たちがスローガンにしている『ビリョクだけどムリョクじゃない』ということばを伝え、会場から“YES”という強い声と拍手をいただきました。無力さを感じる日々もあり、やっても無駄かなと思う時も、正直、ありました。ですが(この拍手で)私たち自身が励まされたような気持ちで嬉しかったです。
・甲斐なつきさん(広島県)、「被曝証言をどう後世に伝えていくか、「核のタブー」持続のために、どう行動していったらいいか、若者がしっかり、一人一人が信念・意見を持つことだと思っている。

高校生平和大使のホームページによると、この活動の始まりは「1990年代後半、世界で核実験が相次いで行われた。このことに危機感を募らせた長崎の市民は被爆国・日本から高校生を国連へと派遣し、直接核兵器の廃絶を訴えることに。そして1998年10月、長崎の高校生2人が米国・ニューヨークの国連本部へと派遣され、高校生平和大使が始まった」とある。初めて知ったのだが、このスローガンはものすごいパワーを秘めていると思う。世界中どこの国でも一人一人の市民や庶民は常に微力である。だが、微力でも決して無力ではない。微力が力を合わせれば物凄いパワーを発揮できる。微力が結集した時、その力に勝る権力者はいないだろう。世界中の不甲斐ない政治指導者に比べ、微力だが無力ではない平和大使たちの持続する志こそが、世界を変える可能性を秘めている気がした。思わずそんなことを期待してしまう記者会見だった。