この1年を振り返って改めて「ノルム」という言葉を思い出した。前日銀総裁の黒田東彦氏が頻繁に使った言葉だ。日銀のホームページでこの言葉を見つけたこともあるが、経済に限らず政治にもノルムがある気がする。ノルム、Googleで検索すると次のような説明が出てくる。「経済学において、物価や賃金の上昇率に関する社会的な習慣や規範意識を意味する概念。米国経済学者のアーサー・オーカンが提唱した」。「ノルムとは『予想』より強い概念で、社会的な習慣や規範意識を意味する。長年の経験に基づき、人々の間には物価や賃金の上昇率について世間相場のような、皆が当たり前のように考える水準が形成され、それが実現していく」。後半の解説が特に重要だ。アベノミクスの下で10年近く続いた異次元緩和。ゼロ金利政策が長期化した結果、大半の日本人は「金利は上がらないのが当たり前」と思うようになった。これがノルムだ。
黒田前総裁は2%の物価目標を実現するためにノルムを破壊しようとした。俗にいう異次元緩和だ。市場で国債を大量に買い付け、通貨供給量を大幅に増やした。それでも動かないノルム。次に打った手がY C C(イールドカーブ・コントロール)だ。長期金利を人為的にゼロに抑え込んだ。結果は歴史的な大失敗。ノルムを打破するための政策が逆にノルムを助長した。ノルムの打破は金融政策ではなく財政政策が本筋だ。安倍元総理は財政に手をつけないまま、日銀に全責任を押し付けた。これがそもそもの失敗の原因でもある。考えてみればバブル崩壊後この国の為政者は、不動産価格に限らず消費者が消費するあらゆる物品の価格を抑え込んできたのではないか。価格抑制に向けた制度的な仕組みがあるのかもしれない。もう一つは「デフレからの脱却」を大上段に掲げながら、国民の間に蔓延するデフレ意識を払拭しなかったことだ。後手に回った政策は逆に国民のデフレ意識を加速した。国民は「買い控える」ことしかできなかった。
国民民主党が主張する「103万円の壁」論争を眺めながら感じるのは、日本の政治にもノルムが存在していることだ。長い間続いた自公の連立政権。不甲斐ない野党よりも「安定感のある自公連立政権の方がマシだ」、選挙のたびに有権者は自公連立政権を選択してきた。先の総選挙で少数連立政権が誕生してわかったこと、それは「長期安定政権」それ自体がノルムでしかなかったことだ。自民党内にはインナーと呼ばれる人たちがいて、国民を無視する形で制度・政策が決められていた。それを象徴するのが宮沢税調会長と小野寺政調会長の度重なる“不適切発言”だ。国民に寄り添うがモットーの石破総理は、政権維持のための飾りでしかない実態も見えてきた。経済に加え政治を覆っていたノルム、これを打破することが来年の課題だろう。何が最適解か、展望がひらけているわけではない。年末年始の課題として、とりあえず今年の納めとする。