きのうから裁量労働制度をめぐる国会の論戦に多少注目しているのだが、全体的に古めかしくて相変わらずの感が否めない。与党も野党も官僚も旧態依然としていて、見ているほうが辛くなる。メディアも単にこうした状況に並走しているだけだ。半面、平昌五輪のスピードスケート・パシュートの一糸乱れぬ快走に感動する。スケート大国オランダの最強チームを打ち破ったのである。レース途中、オランダに抜かれて冷やっとする場面もあった。しかし、そんな心配も杞憂に終わる。ラスト1周の強烈なスピード感は世の中の常識を変える迫力があった。メディアによると今回の勝利は生活をともにしながら培ったコーチやチームの一体感と、それを支えたスポーツ科学の活用にあったという。新しい取り組みが時代を切り開いたのである。

翻って国会。働き方改革という時代を切り開くはずの制度改革に取組んでいるはずだが、予算委員会の議論は裁量労働制度に伴う時間外労働時間の扱いをめぐって紛糾している。政治の世界のことだから与野党間の駆け引きが瑣末な論点の“大問題化”を招いたのかもしれない。日経新聞によると「安倍1強と野党分裂で、今や国会対策そのものが機能不全に陥っている」という。安倍1強は与党・自民党の意向も無視して国会対策を主導し、呉越同舟の野党は一体感を醸し出すためだけに官僚のちょっとしたヘマの争点化にひた走る。挙げ句の果てに政権は裁量労働制度の導入時期を延期することで野党の納得を得ようとしているようだ。なんという“お粗末”。働き方改革は与野党ともに関心の高いテーマ。これまで経団連や連合など関係者が積み上げてきた議論はどこへ行ったのか。

考えてみれば旧態依然とした空気は国会だけではない。本番を迎えている春闘も、旧来からの慣習・慣行の延長線上で闘争を演出しているに過ぎない。個人的には春闘が取り組むべき課題は山ほどあると思っている。少子高齢化の中で経営者は安定経営を模索して内部留保を厚くしている。デフレ脱却が中途半端ことから、製品値上げが思ったように進まず、量販店やメーカーは売り上げを確保するため値上げどころか値下げを余儀なくされている。販売価格が下がれば利益は減る。これを補うために経営者はコストの削減に取り組む。リストラ、合理化は言うに及ばず従業員の給与にブレーキをかける。労働者の可処分所得が増えなければ消費は増えない。消費が増えなければ売り上げも伸びない。結局は縮小的均衡で景気がもたつく。日本経済が陥っている自縛の構造だ。いま必要なのはこの構造を“ぶっ壊す”ことだ。組織率が下がった組合に期待してもダメだろう。与党も野党も官僚も小ぢんまりし過ぎていてつまらない。メディアは漂流している。かくして再び“閉塞感”が復活しそうな雰囲気だ。