財務省の福田事務次官のセクハラ疑惑に関連してテレビ朝日が、同局の女性記者が関わっていたことを明らかにした。あと先は確認していいないが福田次官は辞意を表明。国会で国際会議出席を拒否された麻生財務大臣はこれを無視してG20財務相・中央銀行総裁会議に出席するためアメリカに向かった。うんざりすることのみ多かりし世の中、これがつい最近の動きだ。君子危うきに近づかずで、こんなことに口先を挟むべきではないと個人的には百も承知している。しかし、メディアの検証を心がけているものとしては無視するわけにもいかない。報道されているコトが事実だとすれば福田次官は明らかに「アウト」だ。

気になるのは今回のセクハラ問題、全体が見えないコトだ。これは福田次官も指摘している。各種メディアの報道を見ると当該の女性記者は随分前から福田次官番を務めている。次官の“セクハラ”発言を浴びるのはいまに始まった事ではないようだ。そして、そうした発言をその都度録音していたのだろう。どうして直接本人に、「次官、その発言はセクハラですよ」と指摘しなかったのだろう。福田次官がどうしようもない悪習プンプンたるオジさんで、時代に取り残されていた人だとしても、テレビ局の優秀な女性記者に指摘されれば気がつくだろう。個人的にはその昔、部下の若い女性に「それはセクハラですよ」と指摘されたことがある。どうしてそれをしなかったのだろうか。また、セクハラを打ち明けられたテレビ朝日は問題をネグった。報道機関としてこれは大問題だろう。

それ以上に事態を把握した時点で少なくとも本人に代わって財務省に抗議すべきだった。それがセクハラの予防にもなったはずだ。それをしなかった代わりだろうか、問題が大きくなってからこれ見よがしに財務省に抗議文を突きつけている。女性記者が録音したテープが週刊新潮に流れたことも問題だ。メディアは何かあると報道の自由を問題にする。野党や学識経験者、コメンテーターと称する人たちもこうした“空気”に諸手をあげて賛同する。争いごとにはどちらかが100%正しく、どちらかが100%間違っているというようなことはほとんどない。正当性が5割を上回れば勝ち、それを下回れば負ける。これが民主主義の原点だ。ところが昨今のメディアの報道は、全体像を把握する努力を怠ったまま、「正当性は100%われにあり」といった乗りでセクハラを取り巻く「空気」を生み出している。その空気が鮮度の薄い空気を増幅する。かくして「うんざりする」雰囲気が厚みを増していく。