歩み寄りの余地なし

何も決まらない国際会議

「40年以上外交官をやっているが、こんなに汚い言葉で罵倒し合う国際会議は初めてだ」

9月中旬にブラジルで開催された、クジラの資源管理を議論する国際捕鯨委員会(IWC)総会。反捕鯨国のコロンビア代表は、呆れつつこう言った。

IWCは1948年に「クジラの保護と持続的な利用」を目的として設立された国際機関で、1951年に加盟した日本を含む、世界89カ国が加盟している。設立当初はその全てが鯨肉や鯨油などクジラを「利用する」立場だった。

しかし、1960年代に入るとイギリスなど欧州各国が捕鯨から撤退し始め、次第に日本をはじめとした捕鯨支持国に対する強力な反捕鯨キャンペーンを張るようになり、1982年には商業捕鯨の一時停止(モラトリアム)が採択された。

これを受け、日本も1987年に商業捕鯨を中断したが、その後まもなく「捕鯨再開の準備として、生息数などの科学的データを収集する」ことを目的とした調査捕鯨を再開、現在も続けている。

日本は「科学的調査を通じて、ミンククジラなどの鯨種では捕鯨が続けられるだけの生息数がある」と主張して捕鯨再開を30年以上求めてきたものの、このIWCで否決され続けてきた。現在、IWCでは捕鯨支持国・中間派(41カ国)と反捕鯨国(48カ国)の間でほぼ勢力が拮抗しており、何も決まらない膠着状態が続いている。

議論は平行線

さて、そのIWC総会が2年に1回開かれるのだが、近年その模様は、捕鯨支持国と反捕鯨国の間の「罵り合い」と言っても過言ではない悲惨な状況となっている。

最重要の論点とされる商業捕鯨再開について、捕鯨支持陣営のリーダーである日本が「健全な資源量の鯨種については、持続可能な範囲で捕鯨を始めるべきだ」と主張すると、反捕鯨国の中でも最強行派であるオーストラリアが「わざわざクジラを殺さなくても、ホエールウォッチングなど、ビジネスとしてクジラと付き合っていく道もあるのではないか」「鯨肉の需要は減っている。日本の調査捕鯨も、国の補助金に頼っている(商業的に成り立っていない)ではないか」と、真っ向から反論。

アジアやアフリカ、オセアニア、カリブでは捕鯨支持国が多数派の一方、とりわけヨーロッパでは反捕鯨国が圧倒的で、アイスランドとノルウェー、デンマークを除いて残らず反捕鯨の立場だ。

「商業捕鯨は食の安全保障のために必要」と主張するケニアや、「(十分な生息数という)科学的根拠を無視しているようでは、環境保護主義とはいえない。『クジラは特別な動物だから殺してはならない、他の動物とは違う』という欧米の文化的な好みを押しつけるべきではない」と主張するアイスランドなど、日本を支持する国ももちろんいる。

だが、反捕鯨のEU代表が「(調査捕鯨は)グローバルな海洋資源を守る努力を損なう」と主張すれば、ニュージーランドも「今の日本の捕獲調査に正当性はない」と加勢。南米のコスタリカも「鯨類は大きな動物だから、繁殖のペースが緩い。商業捕鯨再開はありえない」と反捕鯨の主張を後押しした。議場の雰囲気は、反捕鯨陣営が完全に支配している状況だ。

「捕鯨=悪」となった理由

こうした対立を目にして、多くの日本の読者が抱くであろう素朴な疑問が、「そもそも反対派は、なぜそこまで捕鯨を強く糾弾するのか?」ではないだろうか。欧米各国も、例えば宗教戒律による食のタブーは積極的に容認する国が少なくない。なぜクジラだけが特殊なのだろうか。

私が取材を進めてみてわかったのは、結局、欧米各国が捕鯨支持国を糾弾する最大の理由は――身もふたもない言い方になるが――「世論が支持するから」である、ということだ。

そもそも、現在欧米でマジョリティとなっている「捕鯨=悪」という世論は、1960年代から活発化した環境保護運動によって形成されたものといえる。当時、日本は高度経済成長のまっただ中にあり、アメリカを筆頭に欧米諸国との間で貿易摩擦を抱え、国際的バッシングを受けるようになっていた。

一方で、欧米では長引くベトナム戦争への反発を背景に、60年代から環境保護の思想が一般にも広まっていった。1962年にはレイチェル・カーソンの『沈黙の春』が社会に衝撃を与え、1972年には国連人間環境会議が開かれるなど、エコロジーが「先進国の常識」となったのが、まさにこの時代だ。

とりわけ、中心的なイシューの一つとされたのが捕鯨だった。アメリカのニクソン大統領は1971年に海洋哺乳動物保護法を制定し、率先して捕鯨禁止に舵を切っている。背景に、大統領と環境保護団体の政治的結びつきがあった、と指摘する向きもある。さらにこうした社会情勢の中で、欧米における捕鯨批判とジャパン・バッシングの世論が接続していった側面も否めない。

世界の環境保護団体は、ロビイストとしての顔ももつ。政治家や自治体に対して環境保護を重視する政策を提言する一方、たとえば捕鯨支持国の観光地へ行かないよう呼びかけたり、彼らの立場に沿わない政治家や企業のネガティブキャンペーンを張ることもある。

政治家たちは支持を得たいし、環境保護団体に目をつけられることも避けたいから、あえて「捕鯨賛成」を唱えるはずもない。こうした経緯があって、いまや欧米では、反捕鯨の世論は動かしがたい状況だ。

日本の提案も空しく…

話を先月のブラジルでの総会に戻そう。日本は今回、資源が豊富な鯨種に限って商業捕鯨を再開すること、またIWC総会での決議要件を一定の条件付きで緩和することをワンセットで提案した。

IWCでは、商業捕鯨再開のための捕獲枠の決定や、反対に禁漁区を設定するといった際には、総会に参加した国の4分の3以上の賛成が必要になる。現在は全加盟国89カ国のうち、捕鯨支持国41カ国に対して反捕鯨国48カ国となっているため、日本などの捕鯨支持国が商業捕鯨を再開しようとすることは事実上不可能である。

アメリカ、EU、オーストラリアなど、裕福な先進国・地域が中心の反捕鯨国陣営に対して、捕鯨支持国はアジア・アフリカの途上国が多数を占めており、外交力や資金力の面で大きな開きがある。日本は政府開発援助(ODA)を通して、アフリカ諸国を捕鯨支持陣営に引き入れているが、劣勢が逆転できるわけではない。そこで、「4分の3 以上の賛成」という決議要件を、過半数まで引き下げることを提案したのである。

日本は自民党の捕鯨議員連盟ほか、水産庁、外務省のスタッフを倍増させて今年の総会に臨んだ。それだけ気合いが入っていたということだが、しかし案の定というべきか、空しく提案は否決された。出席した谷合正明農林副大臣(当時)が「あらゆる選択肢を精査せざるをえない」と脱退もほのめかしたことは、ご存知の読者もいるかもしれない。

そもそも、決議のハードルが高すぎることがIWCが膠着状態にある最大の原因なわけだが、そのハードルを下げるための決議もままならないのだから、もはや日本がIWCの枠内で打つ手は事実上、残っていない。にっちもさっちもいかなくなった日本は、本気で脱退に向かうのだろうか?

当然ながら、脱退は得策とは言いがたい。もし脱退するならば、年明け1月1日までにIWC事務局に通知しなければならないが、1月中旬から行われる予定の日米物品貿易協定(TAG)交渉において、アメリカ側に口実を与えることにもなりかねない。

今後はEUとの経済連携協定(EPA)発効も控えているうえ、2020年には東京五輪もある。韓国でも、1988年のソウル五輪や2002年の日韓W杯の際には犬食を取り締まった例がある。「伝統文化だから」という言い分は、国際社会の力学の中では、なかなか通用しないのが現実なのだ。

IWC脱退の期限まであと2カ月あまり。年末までに日本政府は脱退を決断するのか、はたまたIWCに残って闘うのか。いずれにしても、待っているのは茨の道である。

(松岡久蔵・ジャーナリスト)