なんと言えばいいのだろうか。今朝、ニュースをみながら感じたことを表現したいのだが、うまい言葉がみつからない。仕方ないから「見解」の不一致と「認識」の共有、タイトルとしては極めて曖昧な表現になってしまった。要するに世の中が複雑化しているということを言いたい。決まらないのは英国のブリグジットだけではない。その一方で与野党を超えて認識が一致することもある。こちらも不思議だ。具体的に書こう。ロイターによると米リッチモンド地区連銀のバーキン総裁はきのうの講演で、「利下げの根拠は乏しい」との見解を示した。これに対して米ニューヨーク連銀のウィリアムズ総裁は「利下げの根拠が強まっている」と真逆のことを述べている。パウエル総裁は上院の議会証言で、今月末の利下げを示唆している。

一方、認識が共有しているのはフィリップス曲線。いま人気急上昇中で民主党の急進左派というべき若手のアンドレア・オカシオ・コルテス氏が10日、上院の議会証言に臨んだパウエル議長に質問した。米金融当局が長年にわたり政策のガイドとして参照しているフィリップス曲線について、「(この曲線では)今日の経済で起きている状況をもはや説明できないのでは」と。これに対して同議長がおおむね同意したのである。これをみていたトランプ政権のクドロー米国家経済会議(NEC)委員長は記者団に対して、「彼女は正しく理解している」と政敵である民主党の若手を評価、「フィリップス曲線が通用しないことをパウエル議長は認めた。金融当局は政策金利を引き下げるだろう」と自らの見解を述べたのである。

昨今、政治的な見解とか評価がかみ合わないことが多くなっている。典型的なのが英国のEU離脱だろう。国民投票から3年経っても、いまだに離脱に向けた合意案づくりが難航している。もはや合意できないと言っていいのかもしれない。政治家や官僚、国民の認識や見解はバラバラ。誰も何も決められない。米中の貿易交渉は議論が進めば進むほど、双方の見解や認識が離れていく。首脳会議の合意にどんな意味があるのだろうか。数多くの首脳会談が行われている。だが、全てはパフォーマンスであり自分の都合のいいように解釈し、不都合な真実は公表されない。共同声明は作らず、メモすら存在しない首脳会談が圧倒的に多い。こんな時代でも世の中は日々進化しているのだろうか。あれやこれや、朝から疑問だけが頭の中を堂々巡りしている。