開いた口が塞がらないとは、こういうことを言うのだろう。関西電力が昨日行った記者会見で明らかになった事実は、世間の常識を完全に逸脱している。それは一言で言えば“腐食”だ。腐っている。それが10年近くにわたって続いてきた。総額3億円以上の金品が一部役員に贈答された。産経新聞によると岩根社長自身、森山氏から金貨10枚を受け取っていた。平成29年3月、「社長就任祝い」という名目だった。「高価なものが入っているかもしれないと聞いて秘書に確認させたところ、お菓子の下から金貨が出てきた」。安っぽいドラマのようなやり取りが繰り広げられていた。何をか言わんやだ。「お前らバカか」下劣な言葉が頭をよぎる。

この醜態の因果関係は何か。おそらく原発立地に関連した森山氏の多大な貢献だろう。反対派を説得し高浜原発の建設に成功した関電は、森山氏に頭が上がらなくなった。会長、社長、専務、常務とツリー状に連なる権力構造の上に、森山という絶対権力が登場したのである。これに逆らえば原発の安全運転にも支障をきたす。常識を超えた金品の贈呈はできれば返却したい。関電の上昇部にもそれくらいの常識はあっただろう。だが、「お前の家にダンプを突っ込ませる」「娘が可愛くないのか?」。叱責、罵倒、恫喝(どうかつ)…。これに立ち向かう役員は一人もいない。かくして一蓮托生、森山氏からの贈答品は日常化し、反社会的で非常識な行為に異議を申し立てる者はいなくなる。関電だけではない。日本企業の多くに根付いている日本的な風景だ。

福島の原発事故は「安全神話」の上で起こった人為的事故だ。原発関係者は原発の安全性を信じて疑わなかった。いや、疑わないように日常的に訓練したと言ったほうがいいのかもしれない。いつしか原発は絶対安全なものになり、最悪の事態を回避する勇気ある“臆病さ”は失われた。人間としての正しい感覚を失ったのは電力の経営者だけではない。裁判所もまた「安全神話」にいまだに盲従している。事故は未然に防げない。経営トップ3人に対する無罪判決は、無責任経営の轍を未来に引き延ばす。関電の経営陣は非常識という“常識”の中で誰一人辞任しないとのたまう。日本の経営者にはびこるモノカラーな経営者意識。異端なき経営からは強靭な経営者は育たない。