きょうのニュースはこれだ。ECB総裁に就任したラガルド氏が、初めての定例理事会後に語った言葉だ。同氏は記者の質問を受けて以下のように答えた。ちょっと長いがロイターから引用する。「ラガルド新総裁は就任後初の記者会見の冒頭で、『私には独自のスタイルがある。拡大解釈や勘ぐり、相互参照はしない。ありのままの自分でいるつもりだ』と指摘。また、報道陣だけが『聴衆』ではないとし、ECBのメッセージを広範に届けるために専門用語ではない様々な用語を用いると述べた」。ここまでは前ECB総裁だったドラギ氏との違いを強調したものだ。人が変われば考え方も変わる。金融政策だって変わっても不思議ではない。それはそれでいい。

面白いのはこのあとだ。「ドラギ前総裁が9月に発表した景気刺激策に不快感を示した複数の理事会メンバーとともにコンセンサスを模索することが目標である」と柔軟な姿勢を強調したあと次のように語った。「はっきり申し上げておきたいが、私はハトでもタカでもない。私の夢は知恵の象徴であるフクロウになることだ」と。洒落た発言だ。甲か乙か、口角泡を飛ばして激論する中央銀行の理事会は想像するに、男同士の喧騒が支配する戦いの場だったのだろう。それを眺めながらマーケットや評論家は誰がハト派(利下げ派)で、誰がタカ派(利上げ派)か、こちらも侃侃諤諤(カンカンガクガク)の議論を続けてきた。そんな中でラガルド氏はハト派でもタカ派でもない、「フクロウ」になると宣言したのである。

フクロウは知恵の象徴である。知恵のない筆者はフクロウに憧れている。日本語でフクロウは不苦労である。苦労知らずの人生を送りたい、そんな願望から趣味でフクロウを集めている。だが、大哲学者ヘーゲルは「法の哲学」の序文で、「ミネルバのフクロウは黄昏時(たそがれどき)に飛び立つ」と書いた。ミネルバは知恵の女神。フクロウはその使者である。この一文の解釈はいくつもある。私が好きなのはその昔、経済評論家の浜矩子氏がどこかの本で書いていたもの。「知恵はいつも飛び立つタイミングが遅れる」というものだ。利下げを要求するトランプ大統領は、強引で自分勝手なウルトラ・タカ派のような存在だが、言っていることは超ハト派だ。フクロウのラガルド氏が金融政策をどう変えるか、知恵が試される。