若干22歳だった。女子プロレスラーでフジテレビ系のリアリティー番組『テラスハウス』に出演していた木村花さんが自殺した。原因はSNSによる「言葉の暴力」だ。テラスハウスでの彼女の言動をめぐって視聴者から、いわれなき誹謗・中傷を浴びていたようだ。表面的な「強さ」とは裏腹に彼女のもって生まれた気質は、「優しくか弱い女性」だったようだ。SNSを通じて発せられる「死ね」「消えろ」といった心ない暴言が彼女を追い詰めた。言葉は肉体的な暴力以上に相手を深く傷つける力をもっている。自死を選ばざるを得なかった彼女の行動は、IT社会に対する強烈な異議の申し立てのような気がする。

彼女のプロレスもテラスハウスも見たことがない。だが私もブログなどSNSを使って発信している。影響力はさほどないとはいえ、IT社会で生活しながら、様々な事象を捉えて批判的な発信をしている。自分では気づかないうちに、見知らぬ誰かを深く傷つけているかもしれない。SNSで「死ね」「消えろ」といった類の発信をした投稿者たちも、自覚して誹謗・中傷したのではないだろう。いっときの苛立ちやストレスを解消するため、「軽い気持ち」で暴力以上に暴力的な言葉を吐いてしまう。テレビのワイドショーを見ながら私も時々、コメンテーターのあまりにも一知半解な発言に「テメー、死ね」と叫んでしまうことがある。SNSではなくテレビ桟敷の暴言だから救われているだけだ。

情報化社会の難しさがここにある。新聞、ラジオ、テレビまではまだよかった。情報の流れは一方通行で、ほとんどのケースで編集可能だった。それが双方向のSNSに一気に進化した。やり直し、訂正は効かず、すべてが同時並行的に進行する。この世界にあるのは正当な批判だけではない。誹謗・中傷や妬み、そねみ。個人攻撃に腹いせ、あてつけ、嫌がらせもあるだろう。やっかみやイジメめだってあるかもしれない。花さんの自死を契機に、SNS利用者の倫理が改めて問われている。高市総務大臣は発信源を特定するシステムへの変更に意欲を示している。それも必要だろう。だが個人的にはIT社会を生き抜くには、心の強靭性が必要な気がする。鋼のように強い強靭性ではない。柳のようにしなやかな適応能力だ。